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窓の外には声援がある(三枝浩樹の『朝の歌』)

透明な朝の光だ 傷ついた窓をあけいまは眼をみひらかん

冬空へ窓あけはなつあけがたのうら若き交感の光よ!

スペインへ!わが思想的昂揚へ! 69年冬の窓あけながら

夏失いし日の僕ひとりぼっちにて遥かな空へ窓あけはなつ

倚るべき窓われにあるゆえたたずめばさむざむと孤へ離りゆく午後

ここより駆けぬきたき悔しみの声呑みて眩しく朝へひらかるる窓

『朝の歌』

 三枝浩樹の短歌には「窓」が頻出する。窓は自分の世界と外の世界を分かつ境界線の働きをするが、その窓は無防備と言ってよい無邪気さでいともかんたんに開け放たれ、三枝の「われ」は透明な光と大気の中にあっという間に溶け込んでしまう。精神という抽象的なものと光や大気という即物的な自然が、清潔な官能とでもいうべき遭遇を演じ、少年だけに許されているような運動を自分のものにしてしまう。三枝の短歌作品を読むことは、青春初期の初々しい運動感を、肌で受け止め、忘れかけていた甘美な痛みを思い出すことだ。「即物感と抽象感覚にみちた歌を、というのが、かねてからぼくの希求してきたところであった」と三枝は第一歌集『朝の歌』の覚書で書いている。肉体と精神が、それ自身本来、持っているところの美質と可能性をいささかも損なうことなく、十全に開花させてみたいという少年の清らかな夢。三枝はそのような純粋な願いを短歌を通して育み続けた。同じ覚書で、ニコラ・ド・スタールの「オンフールの空」という絵画について、三枝は語っているが、その言葉は三枝自身の作品についての解説になっている。

 このとき、スタールは空にとり憑かれていたに違いない。空のたたえる青さ、太陽の光、そして雲の輝きに心を奪われてまさにスタールは在った。しかし、同時にみずからの内部にぽっかり口をあけている深淵からも眼をそらすことはできなかったはずである。空への(あるいは無限への)やみがたい憧れと内部の深淵との緊張関係の交点に、おそらくはこのような光の讃歌が花開いたのであろう。

『朝の歌』覚書

 なにやら実存的・宗教的なドラマの気配が感じられるが、24歳の時にキリスト教に入信した三枝は、「いかに生きるべきか」「何をなすべきか」という問いを、自身の青春のど真ん中に据えていた生真面目な青年だった。小林秀雄は、西行は思想詩人であり、彼の「歌の骨組は意志で出来ている」(「西行」)と述べているが、三枝の歌にも同じものが流れている。

何を信ずと言いたる言葉呼びかえす問うことの愚かしさに撲たれ

一点にきざす痛みを核として自己断罪を遂げよ 君こそ

とおきひとつの祈りがわれを呼ぶようなくらくめざめてゆく時間あり

全身が問いとなる火の一瞬を光芒をみきかくも遥けく

神学へふかく静かに降りてゆくなみだちて生きがたきゆうべぞ

『朝の歌』

 一片のシニシズムもなくこのような言葉が成り立っていることがとても不思議な気がする。文学にとって幸福な時代があったのだなと思う。三枝の『朝の歌』は1964年から1974年にかけて作られた歌を集めて1975年に刊行された。1946年に山梨県甲府市に生まれた三枝は、1965年に上京、法政大学文学部英文学科に入学(私の先輩にあたる)。1969年に大学を卒業。激動の時代を大学生として過ごしたことになる。「優しさを撃て 隊列のくずされてゆく一瞬の蒼白の視野」「樺美智子へ! もし一片の恥じあらばわが魂の四肢の十字架」という歌には時代が刻印されている。三枝自身2013年に出された文庫版あとがきで「それぞれの年代と時代を生きて、そこから突き動かされるようにして歌は生まれる」と書いている。三枝はキリスト教徒的問いを生きると同時に、「青年」が死語となる前の時代に、良くも悪くも青年を必死に演じていたのだ。

<殺スカモシレナイ>予感 くきやかなひと日を戦ぎやまず樹林は

暗き炎に呼び戻さるる昼ふかき頃ラスコーリニコフがめざめ

くらい声の根へふりそそぐ朝のきらきらと海のように眩しも

光るものにあこがれやすくひっそりとマッチともしてみる 夜のなか

そのなかにくらく凶暴な意志のこえ閉じ込めて樹は歌ひとつなし

『朝の歌』

 「くらく凶暴な意志のこえ」に感染し、「<殺スカモシレナイ>予感」を自分の真の声と取り違えそうな危うい時間を過ごしたこともあるようだ。けれども「朝」や「海」や「樹」に反応する生来の美質が清廉な世界へと彼を呼び戻す。「まなこ閉じてもなおあおき海のいろすぎし想いのこころに充つる」「ゆうやみに救われているわがまえに母のごとくうちそよぐ樅あり」三枝の内部世界には「海」や「樹木」がしっかりと根づき定着していて、それが自堕落な頽廃に傾斜することから彼を守っている。「わがまえ」には「母のごく」励ましてくれる世界があって、世界とのつながりを彼は確信することができる。だから彼の世界は透明な光に満ちている。次のような、「未青年」の「くらく凶暴な意志のこえ」を内攻させることによって堅固な背徳の世界を築いた歌の世界とは根本的に異なる。

大空の斬首ののちの静もりか没(お)ちし日輪が残すむらさき

太陽を恋ひ焦がれつつ開かれぬ硬き岩屋に少年は棲む

童貞のするどき指に房もげば蒲萄のみどりしたたるばかり

無骨なる男の斧にひきさかれ生木は琥珀の樹液を噴けり

男囚のはげしき胸に抱かれて鳩はしたたる泥汗を吸ふ

『未青年』

 昭和の名歌集と言ってよかろう春日井健の『未青年』からの引用である。窓を開け放ち、真正面から陽の光を浴びる三枝とちがって、太陽に背を向けて「むらさき」や「みどり」といった疑似的な闇に埋没せんとする春日井の言葉は、三枝の軽やかな運動性を帯びた言葉とはまるで違う。「斬首」後の動きを止めた、甘い罪の香が充満した世界で、「葡萄」のしずくや「ひきさかれた生木」の「樹液」や「男囚」の「泥汗」といった液体の粘着性に運動を奪われて被虐的な快楽に浸るこれらの言葉は少年の世界から疎外されている。「少年の世界」から疎外された少年の不幸の逆説的な輝きを帯びている。このことは春日井が同性愛者であったことと大いにつながっていよう。世界から疎んじられ内攻する言葉の圧力が表現の強度を高めている。

 翻って、三枝は自分と世界との連続性を信じている。言いかえれば世界の意味を信じている。だから彼は素直に世界に向けて手を差し出す。

くれがたをいっぽんの樹にきて触るる何に繫がりたきてのひらぞ

つながりをまこと断たれしてのひらを暗澹と夜の闇に拡げつ

うつくしく中枢へ顕ちあらわれて僕のいのりのなかなる純子

純子、君のため書きしるすレクイエム火のかなしみをふりしずめつつ

雪崩れんとするあやうさに耐えながらわれこそ君の牧師たらんを

『朝の歌』

 「純子」とは、三枝の妻となった井上純子のことであろう。「いのり」とか「牧師」といった生真面目な言葉が微笑ましいが、こういった言葉の楽天性はちょっと類を見ないのではなかろうか。時代の声に後押しされているとしか思えない。つくづく文学にとって幸福な時代があったのだなと思う。私自身は時代の声とこのような関係を持ったことはない。だから岡井隆の「さんごじゅの実のなる垣根にかこまれてあはれわたくし専(もは)ら 私」という歌に対する三枝の次のような批評を、とても眩しく思う。

 他者への呼びかけ、他者に助けてもらいたいという人間としての本質的な希求、そういう呼び声を殺してしまった<わたくし>、断念してしまった<わたくし>、つまり佯(いつわ)った無要求によって自らの人間的本質を裏切り、かつ否認している<わたくし>、このような<わたくし>がどうして真正な<わたくし>でありうるだろう。(中略)ただ<わたくし>という名の一個の空虚な主体があるばかりであり、解体してしまった<わたくし>の形骸があるばかりなのだ。




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