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第15話| 君が覚めるのと、君の世界が覚めるのは、同時だ。

お父さんがお墓を掃除してこようっていうから、僕もついて行った。学校は今週から半日になってるんだ。夏休みが近い。

うちのお墓は叔父さんがデザインした。先祖の名前とプロフィールを刻んだプレートを、石の台に並べてある。その台を、叔父さんは「ヒマラヤ」って呼んでる。それから、手前の白い小石が敷いてあるところは「ガンジス」なんだって。言われないとわかんないけどね。でもほんとはそこに小石じゃなくて水を張りたかったらしい。目指せ、タージ・マハール!

墓地って特別な感じがする。ふつうとはちがう気持になる。叔父さんは、そういう大切な空間を陰気な場所にしたくないって言った。写真でしか見たことないけど、イスラームのモスクとか、キリスト教の大聖堂とか、めっちゃ綺麗で、装飾半端ないよね。そんな大きいスケールじゃなくてもいいから、美しい場所で、静かに祈ろうって。お母さんには「くれぐれも常識外れなことはしないでよ」って言われたけど、もうできちゃった。常識は外したほうがいいよ。

ガンジスの岸辺に萎れた花が落ちてた。それすら絵みたいだ。「花は愛惜にちり...」。ヒマラヤの麓で僕は正法眼蔵を開く。

悟迹の休歇なるあり 悟りのあとかたもない 休歇なる悟迹を長々出ならしむ あとかたもない悟りをどこまでも続ける 人はじめて法をもとむるとき 人がはじめて仏法を求めるとき はるかに法の辺際を離却せり 仏法ははるか彼方にある 法すでにおのれに正伝するとき 己れに正しく伝わったなら すみやかに本分人なり 人はただちに本来の人になる

ダザイ、悟りってどういうこと?

わかることだ。

じゃあ、72×25 の答えがわかるのも、さとり?

ああ、さとりだ。でも妙心寺の和尚は「そんなものは悟りではない」って言う可能性が高い。

ダザイの考えでいいよ。

わかることは素敵なことだ。できないことができるようになるとき、世界が確実に変る。泳げない子が泳げるようになるのと、水泳選手が金メダルをとるのと、スケールはちがうけど、両方ともその瞬間に世界がちがって見えるはずだ。ところで 72×25 はいくつ?

1800。

早いな。どうやって計算した?

72 を 8 と 9 に分解した。25×8 は 200 でしょ。9 倍すれば 1800。

立派なさとりだ。

みちもとが「悟りのあたかたもない」って言ってるけど?

できたことは、もう忘れなさいってことだ。そうして仏法は君に正しく伝わり、本分人になる。

本分人て?

仏法の名人、覚めた眼を得た人のことだ。どうして「本分人」て言うかというと、人間は本来皆覚めていたはずだという考えから来た用語だ。

そうなの?

インドではそんな風には考えなかった。仏法が中国に渡ってしばらくしてから、そう考えるようになった。

呼びかたはなんでもいいや。あとかたも残さず、さとりの練習を続ける。そうすると覚めた人になるんだね。

そうだ。君が覚めると同時に、君の世界が覚める。

僕の世界、まだ寝てるの?

(つづく)

挿し絵|富澤大輔

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