競争社会から降りたり、戻ったり
どうも、Dogaです。
最近これまでの自分のキャリアを見直していて、ふと思ったことを今日は書いてみようと思います。
僕は、自分で言うのもなんですが、競争社会から一度降りた身だと思っています。ここで言う「競争社会」というのは、「出世競争」や「年収競争」、「キャリア志向」などと言い換えてもいいかもしれません。ひたすら同じ山の頂きを目指し登っていくことです。
というのも、僕は院を卒業して、スレートで大手企業に新卒で入社し、真面目に3年半そこそこ向上心をもって、さらに上へ行ってやろうという、いうなれば野心のようなものをもって社会人をしていました。今思うとそれは、これまでの社会や、その会社にプログラムされたものすごく厄介なマインドセットでした。何をするにしても、努力を惜しまず、多少自分の生活を犠牲にしてでも、仕事で成功してやるという、仕事中心の自己犠牲的な考え方です。そう、僕は前述した競争に漏れなく参加していた一員だったのです。
そんな僕は、新卒で入った会社を3年半で辞め、パートナーとカナダへ渡ることになるのですが、その時も、このマインドセットを持ったままだったので、「絶対現地ですぐにそこそこの会社に就職してやるんだ!」くらいの野心をもっていたと思います。
しかし、結果そう簡単にはいかず。自分の満足のいく人事の職につけるようになったのは、移住後3年ほど経ってからでした。
当時僕は「こんなはずではない…」と勝手に焦りながら、それでもなんとか自分にとって別の生き方はないかと模索しました。そこで出会ったのが、ブログ執筆や、サイトの運営、YouTube運営、メディアでのライター、翻訳家といった、フリーランス、そしてある種"オルタナ"な生き方でした。
それが自然と楽しくなり、フリーランスとして、ギズモードのような有名なメディアでも記事を執筆させてもらえるようになったりし、少しずつ自分の中で欠けていた満足感を得られるようになっていたのを覚えています。単純に新しいことを覚えて、仕事が増えて、その分成果をもらえるフリーランスの仕事が凄く楽しかったんです。あと、自分の力でお金を稼げているという実感も大きかったです。この時の僕は、人事として企業で働くというキャリアのメインストリームからは外れた生き方に傾倒していくようになっていきます。
ただ、そんなことを2年ほど続けていると、今度は自然とライターとしての繰り返しの仕事に飽きてくるようになり、と同時に、ただ書いてはすぐに一瞬で消費されて、その後読まれなくなっていく記事を量産する自分の仕事に対して、違和感をもつようになってきたんです。
そこで、再び人事のキャリアでまた仕事がしたいという欲望が生まれ、現地で人事のカレッジへ行くことを決めました。これはある種、僕の中では再び「競争社会」へ戻ることを意味していました。オルタナライフを辞め、また山を登りつめていくために「頑張る」ということです。勘違いしてもらいたくないので言っておくと、フリーランスが、頑張らなくていいと言っているのではありません。全く知識がない状態から仕事をもらえるようになるまで、僕はかなり頑張りました。ただ、サラリーマンとして会社で働くというのは、より多くの人と接することになるので、やはりそれ相応のストレスがかかります。特に人事というのは、常に人と関わっていく、人に関する問題に関与していくというのもあり、それなりに疲弊します。
あと、自分の勝負してきた(勝負したい)キャリアに戻るということはすなわち、その自分の世界で負ける可能性、つまり自分が仕事で上手く行かず、残念なサラリーマンになる可能性も含んでいるのです。そもそも勝ち負けで考えている時点でおかしいのですが、常に仕事ができる、仕事を楽しんでいる人間でなくてはいけないという固定観念が染み付いていたんだと思います。そんなの自分の主観的な考え方にもかかわらず。
そういう意味で、僕の中で人事に戻るというのは、再び自分の畑であるキャリアコースの競争に戻ることを意味していました。これは人との競争だけではありません。自分自身との競争です。辛い、でも頑張って高みを目指していこうという、時に自己犠牲的になってしまう競争です。
それで結局カナダで人事の仕事をしながら、一生懸命頑張り、3年ほど働きました。ときには精神的に疲弊していた時もあったでしょう。そして、また別の理由で、アイルランドへ移住することになりました。
ここで考えました。「アイルランドで人事の仕事をするのか?」と。ただ、以前の記事でも書いた通り、別の国へ移るとそう簡単に人事の仕事は見つかりません。またリセットです。
家のローン申請を通すためにまずすぐに仕事をゲットしなくてはいけなかった僕は、人事とは別の仕事へ就くことになりました。正直、人事以外の職に興味を持っていたのもあるのと、その職についた時も、まぁ永遠にこの仕事をやり続けることはないだろうと思って就職しました。フルリモートなのも大きかった。
これが本記事執筆時点で1年7ヶ月ほど勤めている、現職です。正直前職に比べて全く違う領域で、その職業柄、それほどストレスなくやれてました。前職に比べて給料は高いとは言えませんが、普通に暮らしていて全然困らないレベルです。家も買えてますし。すっかり牧歌的なアイルランドの田舎の風土も染み付き、むしろのんびりストレスフリーに生きたいという想いのほうが強くなりました。もう東京とトロントで都市生活は十分です。今はダブリンより、アイルランドの田舎の風景の方が魅力的に見えます。
その間、リーダーポジションに昇進もし、そこそこ楽しめていました。しかし、前に書いた通り、ここで再び人事に戻りたいという気持ちが戻ってきてしまったんです。これはおそらく、ある程度生活が安定してきたこともあり、新たな刺激、挑戦を求めるようになったからなのかもしれません。熱意でしょうか。
そう、それすなわち、再び競争社会へ戻るということ。再び、「頑張る」ということ。自分自身との競争です。そういう意味で、またこれまでだったら登りつめたいと思っていたであろう、キャリア競争に戻る道を選んだということです。ただ、ここで僕が学ばなければいけないのは、別に山は登らなくてもいいということ。人生は競争ではないということ。仕事をすることは人生ではないということ。上手くいかなくてもいいということ。仕事ではなく、生活そのものにフォーカスし続けるということ。これを実践しなくてはいけないなと思っています。競争社会に戻ると、ついこういう重要なことを忘れてしまうのが僕のよくないところです。
そもそもCIPDの資格をとって人事の仕事が見つかるかはわからいんですが、とにかく競争に参加せず、ただ引き続き人生を楽しんで生きていけるようになりたい。そんな思いで、再び競争社会に戻れるよう"頑張り"ます。