『ひきなみ』を読んだ、自立という責任。
わたしはつい、人に依存してしまう。
人の意見を求めてしまう。
そうして自分で生きることの責任を誰かに担ってもらおうとしていると最近気付いた。
千早茜著『ひきなみ』を読んだ。
親から離され瀬戸内海の小さな島で祖父母と暮らすことになった主人公・葉が、
同じく島で祖父と暮らす少女・真以と出会う過去編の第一章「海」。
高校で真以が脱獄犯と共に行方不明になり突然の別れを遂げ、
社会人になった葉が上司からのパワハラの中でもがく現在編の第二章「陸」。
2つの時間から、女同士の友情や、女として生きていく辛さなんかを描いた小説だった。
千早さんの言葉からいくつか抜粋する。
女同士の友情って、幼い頃は変にあまりにも深かった気がする。
恋にも似たような感覚というか、この子は私の一番、みたいな。
あの捉われ方はなんだったんだろうか。
葉の真以に対する想いにも似たようなものを感じた。
そして真以はある程度の距離は持ちつつもいつも葉に手を差し伸べていた。
小学校の頃の二人はどちらも弱い存在として支え合っていた部分があっただろう。
それが社会人になり再会。
またお互いに支え合うような関係になっていくのだが、
昔の関係とはまた違うものになっていったように思えた。
生きていくには人と違う自分を、自分とは違う人を認めて、向き合っていかなければいけない。
それを無理に合わせようとするからより一層辛さが増していくのではないだろうか。
他人の目、顔色、もちろん気になる。
わたしは多分必要以上にそれを気にして生きてきた。
多様性だとか言ってさまざまな生き方に焦点が当たったり、結婚の形がどんどん幅広くなっていく現代の社会で、
ただ流されたり人に同調するだけでは上手に乗り切っていけないような気がしてきた。
自分を強く持つことはとても難しい。
考え方はネガティブから中々脱せないし、つい弱気が生まれてしまう。
それでも“独立”を強いられるこの社会で、
自分を保つためにも必死にもがいていくしかない。