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泣くことも多いし、笑うことも多い。

なんだか最近、こうなんです。いい歳こいて泣くことも増えてきたし、逆に笑うことも増えてきたなぁ、なんて。

子どもたちと生活をするようになってから、ぼくの「ぼく以外の環境や状況に対して」の構え方が変わりました。それこそ、斜に構えるようになったって感じです。

あ。「斜に構える」って、正しくは改まった態度をとる、とか身構えるって意味なので、世の中に対した斜め上な態度をとってるわけではありませんからね。

彼らに感謝しているのは、つくづく、あらゆる場面で考える機会を与えられること。

たとえば、公園に行くとして、少し高さのある遊具で遊ぼうとするとします。子供の年齢は3歳だとして、高さの程度としては彼の身長を倍にした程度。

そこに登ろうとする彼を補助して遊ばせるべきか。一人で行かせるべきか。

はたまた、買い物に行ったとして。

ついつい、ヒーローもののお菓子に目がいく彼らに対して、ダメな理由を述べられるのかどうか。ちなみに、自分が買うものも、生活必需品ではなく、アルコールやおつまみなどの嗜好品だとしましょう。

また別の場所に飛んで、ショッピングモールに行ったとして、トイレへ。

自分も子どもと共に用を足すために入ったのですが、子どもを先に足させ、自分が後からしようとした際に、子どもが先に飛び出していってしまった。外には母親がいたはずだけれど、どうしたものか。

あ、兄弟ゲンカをしています。

どちらも遊びたいおもちゃが、同じタイミングで使いたくなってしまったようですが、どう按分すればよろしいでしょう。。

などなど、彼らと生活をする中では沢山の「場面」に出くわすわけですが、常に「どう考えているのか」を試されているような気持ちになります。

これらに「答え」なんてあるわけがありません。それぞれの家庭ごとに回答が異なるでしょうし、それぞれの人たちごとに回答があるのかもしれません。

ぼくが大切にしているのは、相手も同じ人格を持った「人」であることを認識し、「子ども扱いしないこと」これだけです。

もちろん、年齢が低く、体格も大きくはないため、肉体的にできないこともあります。気持ちも幼いため、すぐに甘えて来ようとすることもあります。

それでも「人」であることに違いはありませんし、「人格」と備えており、「性格」も有している、立派な「人間」ですから、対等な相手だと思い接するようにしています。

たとえば、嗜好品を買おうとする自分と、ヒーローもののお菓子を求める彼との間に違いがあるのかといえば、ぼくは「ない」と考えます。違いがあるのだとしたら、彼らに「労働の対価」として「お金」が手元にないぐらいでしょう。

しかし、15歳未満の彼らが労働をするわけにはいきませんから、「お金を持ってないから」「稼ぐことができていないから」と、それを否定することはできません。

それはただ、年齢と体格、そして親だというポジションを優位に保たせたいがためのマウントでしかありませんから、時として見かけるスーパーで床に寝転びながらでもお菓子を買ってもらおうとする子どもと一緒だとすら思ってます。

もちろん、泣いてどうしようもないこともあります。言っていることがメチャクチャで、ちょっと理解するのに時間がかかりそうなこともあります。

だけど、そんなこんなも全部「必死」なだけですから。

体格でもなんでも、大人に勝てないとわかっているから、彼らは必死に訴えかけてきます。それを受け止めることができるのは、そばにいる大人だけです。それがなければ彼らは感情を失った人形にでもなってしまいかねません。

斜に構えるぼくが彼らにしていることは3つ。

1. 受け入れる。どうしたいのか聞く。
2. こちらの状況を伝える。
3. 改めてどうしたいのか判断してもらう。

それが正しいとか正しくないとか思っていませんが、ぼくが彼らと対等になるには、そうやってきちんと「決めてもらう」ことを繰り返す他にないのだと思ってます。

だから「〇〇なさい」みたいな言い方をしてしまった自分に対して、ものすごく大きな嫌悪感が出てきたりするんですね。

あとは、周りからの評価を素直に受け入れる、なんてことも彼らに対して都度、伝えているところです。自分から言い出したのではなくて、自分がやったことに対して、自分以外の人が言ってきてくれることに対しては、素直に感謝しながら受け止めようね、と。

そんな風にしてると、彼らの葛藤みたいなものをマジマジと見る機会が増えているためか、彼らとともに泣くことも、笑うことも増えたのだと思います。

それは、本当に小さなことを見逃さないようになっているから、なのかもしれません。対象が小さくて弱々しいものであるからこそ、小さな変化を見逃しては命取りになることもあります。

ほんの小さなことだったとしても、幸福感を感じることができて、それが積み重なっていけば、最終的には大きな幸福になるのだと考えています。逆を返せば、遥か彼方にある幸福にだって、着実に一歩ずつを繰り返していかないとたどり着けないんでしょう。

そんなことにも気づかせてくれたのは、彼らとの生活があったからなんだと、はっきりと自覚しているので、今日も彼らに感謝したいと思います。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。とはいえ、寝てる顔にカカト落としを食らったので、ちょっと文句も言いたい気持ちはあります。


ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo)

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中。


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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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