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【続】フリースクールが「国の根幹を揺るがすことになる」発言の首長がいるって聞いた
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
珍しく、続き物を書いてみようと思った次第です。
前回(前日)に書いた内容は、フリースクールに対して文部科学省が予算をはじめとした支援を打ち出していることに「愕然とした」と発言した東近江市長に、感情的になることなく淡々と説明するつもりで書いたもので、最終的には教育の権利と教育を受ける権利を損なわないための義務について日本国憲法を引き出して終えるものです。
正直、不登校児童の当事者になると、こういった事実として起こっていることに向き合ったこともないだけでなく、想像力も低い人に出会うことは少なくありません。
そういう人と出会うたびに感情的になると疲れてしまいますから、冷静に、淡々と事実と感想を切り分けて話すことを気をつけていると、必然的に上に貼ってある記事のような内容を説明することになるのです。
それで終わるつもりだったのですが、取材に応じた東近江市長が述べている内容につい反応してしまいたくなった次第でして。
取材の中で述べられている発言に対し、チマチマと応答していく形で記事を構成しきます。見苦しい内容になるかもしれませんが、それでも読んでくださる方のみ、お付き合いいただけると幸いです。
さては立法課程ってのを知らないな
まずは東近江市長の「フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない」と述べた真意について問われたことに応じたのが以下。
「あまりにも議論せず、枠組みも作らず、基準も決めずに走り出しているから、そこに僕は警鐘を鳴らしたかった。短い会議の中で端的に思いを伝えようとすると、どうしても言葉足らずになってしまう」
短い会議の中で…うんぬんという点は無視していいでしょう。こんなものはただの付け足し文句であって、問題だと思った点は「あまりにも議論せず、枠組みも作らず、基準も決めずに走り出しているから…」とする点ですね。
仮にも行政機関のトップである市長の立場にある人からこういった発言が出ることに、それこそ驚愕します。まさか立法過程を知らないのか、と。
調べれば5秒です。5秒ほどで、教育機会確保法の立法過程を分析する論文等が出てきます。
教育機会確保法の立法過程 -アイデアの政治から- 勝田 美穂
普通教育機会確保法の成立基盤と存在理由 ──前川喜平文部科学省事務次官の「学校外普通教育」法制復活論をふまえて 喜多 明人
議論を積み重ねてきたからこそ法律として立法されているわけで、「議論もせずに」といった批判をするのであれば、この立法課程に問題があることを立証して裁判でもしなければなりません。
この立法課程において、東近江市長が述べているような意見は出ており、議論が尽くされたからこそ法律として整備されているのであって、文科省が思いつきでやっているのだと理解しているのだとしたら首長としての資質、怪しくないですか。
さては不登校の実態を知らないな
何より、当事者の方々に向けて不穏な感情を抱かせた発言として外せないのが以下でしょう。
「いろんな分析をして言おうとしたら、やっぱり大半は親に責任があることは否定できないわけですよ」
何より「大半は親に責任があることは否定できない」とする根拠がありません。これから提示していただけるのかもしれませんが、そういった事実をお持ちなのであればぜひとも広く公開していただきたいものです。
根拠もなく述べられたのであれば、お気持ちを述べられたと片付けることにしますが、よろしいでしょうか。
一口に不登校と言っても原因は一様ではありません。
いじめ、学校環境への不適合、精神的健康が損なわれている場合もあれば、家庭環境などによってヤングケアラー化してしまっている児童や生徒が学校に通うことができない、なんてことも考えられます。
他にも、教師との関係が合わなくなってしまい学校に行くことができなくなったケースも考えられますし、不登校に対する学校側の対応に不備がある場合だって想定できますから、学校側に責任があることだって想像に難くありません。
ここで挙げられるだけでも、親の責任だといえるものは一部です。
「大半が」なんて主語を大きくした主張には根拠どころか論拠すら成り立っていないことは自明で、何よりも「教育機会確保法」が成立しているのは、前提として不登校の原因が多様で多角的なアプローチが必要であると議論されてきたことの証拠です。
市長にもなると、どうしても「市民が」とか「国民が」みたいに主語が大きくなりがちなんですかね。それは職業病ってことでいいですか。
さては自身の発言に対する責任感がないな
次で最後にしますが、フリースクールの運営者たちが困惑していると質問すると、困惑する必要はない。胸を張ってやれ、と述べました。
「(Qフリースクールの人が困惑しているが?)困惑する必要はないですよ。堂々とやれば。僕は文科省と県に問題があると言ったつもり」
首長や他の公職にある人々は、その発言には一般の人々、特にその地域の住民に対して大きな影響力があると自覚するべきで、こうやって好き勝手書ける立場のぼくから見ても、その発言をしているのに当事者に向かって「堂々とやればいい」だなんて自身の発言に対する責任感が欠けているとしか思えません。
特に、教育に関するようなデリケートな問題においては、一般的な認識やステレオタイプを強化する可能性がありますし、これによって実害を被るのは児童や生徒たちであることを認識すべきでしょう。
また、「不登校は大半が親の責任」といった発言は、その不登校に対する多角的な理解を妨げることにつながりかねませんし、当事者の保護者や子どもたちに対する偏見を生む可能性だってあります。
こういった発言が公のものとしてメディアに取り上げられている現状を鑑みると、東近江市の教育政策や支援体制に対する信頼を損なうことも十分に危惧されます。
どういった思考で発言されたのかは分かりませんが、「問題提起をしただけ」だなんて逃げ口上が通じるのはネット内で匿名のハンドルネームで書き込みをする人たちだけです。
まさか、市長のポジションに3期も就いているような人が、そんな態度で市政運営をしているわけではないですよね。
おわりに
好き勝手書いてきましたが、きっと、学校が嫌いだったんでしょうね。学校に行くことが嫌で仕方なかったのに、親に無理やり行かされて嫌だったのかもしれません。それならそういってくれれば同情できそうなものなのに。
まぁ、仮にそうだったとしても、そんなことはプライドが許さないからいうことはないでしょうね。
そんなわけで今日も懸命に生きていけるよう、がんばりたいと思う所存です。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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![ゑんどう ≒ 遠藤 涼介](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/40756580/profile_6ff9ba76e9999163cbca7e1eb15e0ed1.png?width=600&crop=1:1,smart)