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腹立たしい気持ちを抱いてしまった際に意識してほしいこと
感情的になることって、ありますよね。ぼくも未熟な人間なので、妻さんとの会話からだってそうだし、子どもたちとの暮らしを経てきた中で、どうしても腹が立ってしまい、イライラしてしまうことがあります。
「したい」とは思っていないのですが、どうしても理解できなかったり、切迫した状況だったりすると、"こころ"の容器に溜まってきた水がこぼれてしまいそうになってしまうことに対して「許せなくなってしまう」からなんだろうと考えてます。
よくよく考えたら、イライラしたところで何の解決にもならないし、状況がよくなるわけでもないんですよね。何より、その状況を生み出しているのは、周りまわって自分自身の責任なんだって気づけるんです。むしろ気づかなかった場合には他責思考になってしまっているので、おそらく一生かかっても解決しないでしょう。それは嫌だ。
なので、自分自身に向けてなのもありますが、腹立たしくてイライラしてしまった際に意識してほしいことを書いていきます。いわゆるアンガーマネジメント、みたいなカッコいい言い方ではなく、ちょっと頭の片隅にでもあるといいと思っていることの紹介程度です。
自分の責任である
圧倒的にイライラしてしまった際に「やってしまっていること」の一つに、「自分の責任で物事を考えていない」ことが多数です。ぼくがそうです。ま、今回はぼくを題材にしているので当然とといえば当然です。
妻さんとの口ゲンカもそうですし、子どもたち相手に対してイライラしてしまうこともそうなんです。だいたい、だいたい自分がどうにかできたことがほとんどなんですよね。お互いに一生懸命にやってるだけなのに、ちょっとしたすれ違いから意見が食い違ってしまったがために、些細な内容から口論に発展してしまう場合も、その認識のズレを事前に防ぐような対策をとっていたのか、と言われれば、やってなかったんですよ。
やっておけば、こんなケンカにまで発展しなかったのに...。そう思い、涙で枕を濡らしたことが何度あるか。結局、どこで汗をかくのか、かきたいのか、なんて話になるんです。サボりにサボってしまった結果として、冷や汗をかきたいのか。それとも、事前に汗をかいて行動しまくって、いざとなった際には涼しい顔をしていたいのか。
むつかしいけど、やらないといけません。
他人に期待しない
自分の責任として認識できていない場合、他人のせいにしがちですが、これを他責思考と言います。「自分は正しくて、自分以外の人を含めた環境や状況がおかしい」と考えるため、相手が何をどうしようが関係ありません。自分の考えていることがすべてであり、他の人間の状況がどうであれ、自分の状況や環境が優先されるべきだとするものです。
これって、誰でも抱きがちな思考だと思ってます。ぼく自身もこんな風に書いていながらも、ついつい他人に責任を押し付けようとしてしまいますし。その方が楽なんですよね。瞬間的には。
ですが、その思考でいる限りは何も解決できないでしょうし、解決できるものだって解決できるようにならないでしょう。理由は簡単。ぼくたちは他人の人生を生きているわけではないから。
そこには他人に期待することも含まれます。他人に対して過度な期待することは「=自分を優先して助けてくれる」と考えてしまうことですが、これってあまりにも奢り昂った態度ではないでしょうか。
ぼくだって他人に期待をしたいと思うことはありますが、それは明確に相手と意思疎通を図り、互いに同意を得た上でしかできないものです。もっといえば、相手に期待したいことを具体化してから依頼しないとダメで、相手の頭の中をジャックできる(乗っとれる)のならわかりますが、そんな人はいません。
そうなると、自分以外の人に対して"過度な期待"を抱くこと自体が間違っているのだと気づきます。
状況を客観的にみてみる
自分が腹を立てている状況を第三者的な視点で見てみる。むつかしいです。自分で書いておきながら、なぜに書きはじめたのだと後悔し始めています。
何を言いたいのかといえば、自分が腹を立てている姿を客観的に見ていたとしたら、「不快」な気持ちになるよなぁ...と想像するだけでも、そのイライラを解消するまでは行かないまでも、少しぐらいは冷静になった上で考えられるのではないでしょうか、ということ。
あんまり自分が起こっている姿を動画で撮影されることなんてありませんが、録画されているような気持ちになったら、とても恥ずかしいことだと思えますから、おすすめです。
実際、ぼくは子どもたちや妻さんに対し、ついつい不満を抱いてしまい、腹を立ててしまいそうな時には、カメラクルーがそばにいてドキュメンタリーを撮影している様子を想像することで冷静な気持ちを取り戻す、なんてことを実践し始めました。
今のところ、その設定自体を思い出せないことが多いのでうまくいっていませんが、うまくいったら改めて報告しますね。うまくいくまでやります。
整理する
誰か特定の相手がいて、その相手がとる態度や姿勢、行動が気に食わないのであれば、箇条書きにしてみましょう。事実を具体的に書いてみます。この時に相手への印象を感情付きで書くことをしてはいけません。感情を書いてしまった瞬間に、それは整理ではなく区別や差別につながってしまう可能性があります。それをした瞬間のあなたの顔は非常に醜く、険しいものになってることでしょう。
感情は置いておき、事実として何が起こっていたのか。自分として足りていなかった部分は何か。相手がすべきだった事実は何か。自分として怠っていた部分はあるか、と、理路整然となるように箇条書きをして整理してみましょう。
案外、自分もできていないことがあるんだって思えるのではないでしょうか。ただ、これをする際にも他人のせいにするのではなく、自分が何をすべきだったのかを考える必要があります。
まとめ
イライラして、相手に対して負の感情を抱いてしまったとして、それをぶつけてしまったところで何の解決にもなりません。互いに感情をぶつけ合ったとしても、それは感情同士のぶつかり合いでしかなく、意見をぶつけ合っているのではありません。
そんなことをしたところで、何も有益なものにまで発展するなんてことはあり得ない話です。
自分に対しての責任をきちんと認識・把握した上で、他人のせいにせず、事実として何があったのか、どうすべきだったのかを整理した上で、客観的に自分の姿を見てみること。
これができたら、そんなに腹を立てる必要がないことも理解できるように思います。何より、ぼくがそう思え始めた次第です。お付き合いいただき、ありがとうございます!
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