お仕事をするために前提認識を揃えることが大変だけど大事だよね...って。
ようこそ、お越しくださいました。
はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、実際に面した際にぼくが話したいことを書いていくものです。ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。
▶︎ 業務がどっちつかずになること
仕事や業務を行う上で”どっちづかず化”することがあります。いや、させたことがない人はいいんですよ。本来であればそうであるべきだと思いますよ。でも、お恥ずかしいことにぼくは過去に何度かやってしまってきたもので…
業務がどっちつかずの状態になることにはいくつかの要因があるのだろうと思いますが、結論としては、どっちつかずになるように物事を確定させているのかって話です。
根本的にはどっちつかずの状態になるかもしれない...と予想してなかった自分に問題があるし、そんな危機認識すら持てないような状態で業務に向き合っているのだとしたら非常に情けない次第で赤面の上で放心するしかないのですが、そんなどうしようもない大人の教訓が必要でしょう。
特に05月を終えることが見えてきた新卒入社の方々や中途入社で右も左も分からない状態で業務に取り組むすばらしき社会人たちに共有すべき情報だと思うのです。
▷ メンバーとの認識相違
同じ業務を取り組むメンバーとは、社内の同僚に、上司や部下といった人たちが含まれます。他にも、協力して取り組むメンバー(業務を切り出して発注した外部業者など)がいるのなら関わってくることが出てくるでしょう。
ここでいいたいのは「自分だけで完結できるもの」ではないってことです。
大抵、自分のみで完結できるだけの仕事や業務なんてのはないでしょう。新卒の方々であれば、まだそこまで裁量を認められていないこともあるでしょうから誰かしらの依頼を受け、依頼どおりにやるってことからはじめているケースも少なくはないだろうし、中途入社した人も定着するまでにもひたすらに利害関係者に聞き取りしつつ、何をこなしていけばいいのかって役割を確定させることからはじめたりしてることでしょう。
自分だけではなく誰かしら相手がいて依頼を受けるってことは、自分が行った業務を提出(納品)する必要があり、ひいては納品書を受け取るまでが業務だってことになります。
どっちつかずになる要因で代表的なものは…
期日不明
確定状態の曖昧さ
何をどこまで誰がするのかが不透明 など
「いやいや、わかりきってるでしょ!」みたいな反応をする人はできている人なのでしょうが、決して世の中はできる人だけで回ってるわけではありませんから。イチイチ確認しなければならないことってのはあるものです。
一緒に取り組むメンバー間で、どっちつかず要素が残っていないのかは最新の注意を払って行うべきです。さもないと、よくわからないけど責められるって構図になりかねません。
▷ お客さんとの認識相違
社外に向けて納品をする意識を持つってことは非常に大切ですが、なぜ大切なのかといえば「自分がやったことの証」を受け取りたいと希望してくれている人たちだからです。
せっかく自分や自分の会社に向けて信頼を寄せてくれるだけでなく、「お金を払ってでも、あなた(あなた方)からの納品物を受領したい!」ってことじゃないですか。
それに応えるためには、きっちりといつまでに納品すべきなのかってことを明文化させたりします。契約書ってやつですね。契約するってことは違反した場合の罰則規定なんかもあるわけで、それを受けようものなら大変な苦役を強いられかねません。
だからこそ、いつまでに・誰が・何をみたいな情報を明文化させておき、最終的には業務を担当する自分を守るために使わなければなりません。
ともに業務を取り組むメンバー同士での認識相違ってのは修正が効きますが、対外的な契約関係にある人たちっとの認識相違ってのは修正が効かない場合がほとんど。諦めるにも諦めきれない状況が生まれたりします。
自分が請け負っているのかいないのかを明確に認識するしかないのですが、ぼくみたいな忘れん坊将軍は自分の脳みそを信用してませんから、何かしらのツールやシステムに頼る他にありませんん。
それがあるから、まだダマシダマシ取り組めているものの、それがない世界線であれば仕事なんてできてないんでしょうね。もう、時代の進化さまさまでございます。
▷ 独りよがりな行動
決定的にすべきでないのは「自分勝手に判断をして独りよがりの行動を起こすこと」だったりします。
明文化しておらず、仮に明文化していたとしても締め切りを自分だけが認識していたり、納品物の詳細を誰にも共有していないような状態になってしまうと、それはそれは大変なことになってしまいます。
独りよがりな行動、というよりも自分だけが抱える状態だと言い替えることもできますが、それを軸にしてしまうとメンバー間で回っていたはずの歯車や調和が一気に瓦解する可能性があるため注意しなければなりません。
ここまで読んでくれたあなたは、申し訳ないのですがきっとそこまで優秀ではないのでしょう。
ぼくみたいなポンコツ無能人間側なのだとしたら、自分ひとりで抱えながら業務をこなすことは今すぐに改めていく必要があります。
独りよがりで痛い目をみてしまうのであれば、以下にして自分を守るために他人に依存する割合を確保するのかが生存戦略においては重要な割合を占めることは明白です。
また、自分が担うべき責任箇所を明確にしてみると、案外、それほど多くはないことに気づくのではないでしょうか。もちろん、立ち場によって大きく変動するのですが、いま、これを読んでいる人はどちらかというと自分で抱えてしまっている人が多いのでしょう。
他人に押し付けると言ったら表現が悪くなりますが、自分だけで解決できないのであれば存分に他人を巻き込むべきで、その人に責任ごと任せてしまえばいい。何もかもを投げ出せ、というのではなく、できることをできる人に割り振ることは何も悪いことではありません。
仕事や業務がお手玉状態になってしまい、どっちつかずの状態になってしまうほうがよくないのです。
そんな雑談でございました。
ではでは。
えんどう
▶︎ おまけ
▷ 紹介したいnote
メンバーに「この仕事、やりたい仕事じゃないです」と言われたら?(動画つき)
ここまでハッキリいえる人は分別領域が狭いのか、自己防衛機能がしっかりと機能している人だといえます。それが上司側からするといいのか悪いのかは判断が難しいところですが…
仕事のことばかり考えていたら、感性の根っこが腐った
余白がなくなるってことは無駄がなくなることで、自然的であることは壮大な「意味」が散りばめられていることと同義だと養老孟司が述べているようなことなんだろうと思った次第。
「どんな仕事」をするかより、「どう仕事」をするか。
人生の主導権は誰が握るべきなのかって話をするのだとしたら、自分の人生は自分が主導権を握るべきですよね。そんな風に考えると、このnoteにかかれているのは自分の人生主導権を握っている人の姿なんだろうなって思うのですよ。
▷ えんどうのTwitterアカウント
僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。