新しい環境での適応は誰にとって敷居が高い
これまで、この4月から我が家の子どもたちが転園する話を書いてきたりしたのですが、「新しい環境に適応する」のが、誰にとって敷居が高いのかを改めて考える機会になってます。
ぼくは昨年の4月から環境が変わったものの、今年は変化がありません。もちろん、所属が同じだとしても、やることが変わっていますし、自分以外の家族の環境が変わったことによって、適応しなければならないことが増えたとは思ってます。
子どもたちの母親である妻は、この4月から三男が1歳を迎える前に職場復帰を果たしました。まだ4月が始まって間もないのですが、すでに職場と保育園、そして自宅との物理的な距離を伴う移動に適応するまでは、もう少しかかりそう。
そして、子どもたち。
長男はこれまで通っていた保育園から男女構成が大きく変わり、男女の比率が1:9ぐらい。転園自体への適応はすんなりと行っているみたいですが、今後の遊び方に少し、これまでのような無邪気さを維持することが少し大変そう。
次男は、これまでの保育園からの転園に関して、まだまだ敷居が高い様子。朝はぼくが彼らを送っていくのですが、車から降りても、保育園の中でも、ぼくから離れられず、ともに道具を片付けたりしなければ動こうともしません。
そして三男。これまでは自宅を中心に、慣れ親しんだ顔が並ぶ環境で過ごすことが多かったのに、突然、見知らぬ顔の場所へ放り投げられ、8時間以上も慣れない顔に囲まれながら過ごすわけです。
こうやって家族それぞれの顔を思いながら、それぞれに環境が変化したことについて考えると、結局、ぼくたち夫婦の環境変化に無理やり子どもたちを付き合わせてしまっていることを申し訳なく思います。
何より、普段の生活様式が一変していて、保育園への移動がこれまで徒歩5分から車で15分へと変わりました。
我が家では夫婦共働きの上、実家がともに生活圏内にないため、保育園へ入園できる見込みとしては優先度が高くなりますから、基本的に入れないことはありません。
あとは「どこの保育園へ」となりますが、ぼくと妻の都合により、それまでの徒歩5分圏の保育園から、遠く離れた場所へ転園しなければならなくなったために、子どもたちに転園(三男は入園)を経験させることとなりました。
これによって、家族的な起床時間に大きな変化が生じており、生活時間の変化が何よりも大きく適応の敷居を高めている要因になっています。
いわゆる勤め人であるぼくと妻は、出勤時間がありますから、早々と遅刻するわけにはいきません。本当にどちらかといえば、ぼくが彼らを登園させることが現実的なため、取り組んでいるのですが、それまでの出勤ルートとは異なる場所を走るため、かなりギリギリの状態。
そういう点では、朝の時間がかなり追い詰められているような状態。そんな愚痴のようなことを言いたいわけではないのですが、結局、ぼくたち夫婦が適応しなければならない状況に、子どもたちを付き合わせていることがよく理解できたので、少し苦しんでいるところ。
たとえ、働き場所を移すことになったとしても、新しい学校へ移ることになったとしても、当人が適応することに関する敷居が高いことは言うまでもありませんが、その周りにいる人たちもその敷居を抱えることになることが、今更ながらに理解できました。
それと同時に、ケアをしなければならないのは、その当人だけではなく、その近しい関係にある人たちも対象で、そこまでを包括的に考えて接することが必要なんだなぁ、なんてことも勝手に感じた次第。
今回のぼくと妻の件は、かなり自業自得なのですが、それだからこそ、今後、周りに似たような境遇の人が生じたら、どう接していけばいいのかを何となく、それとなく理解しました。
今日もお読みいただきありがとうございます。また、人に優しくする理由ができました。
ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo)
#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動