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6西へ感謝を込めて(私の入院体験記)2『人生で一番の痛みを乗り越えていく』

上記の続きとなります。


人生で一番の痛み

朝一番に行われた私の手術は終わった。事前に麻酔科の担当者とも、何時ぐらいに目が覚めますかね?と言うやり取りをしていたが、概ねその時間に目が開いた。

ここで、開いた。と言う表現をしたのは、全身麻酔を体験した事がある人であれば分かると思うけれど、ほとんどボーっとした状態で、意識と呼べるだけのものはなく、かろうじて会話が成立をする位の認識をする事が可能なレベルで起きている状態となるからだ。

実際に目を開いたら、点滴の確認をしてくれている看護師が横にちょうどいて、私が起きた事に気がついてくれたのか『クリスティーネさん、手術は成功しましたよ。気分はどうですか?』と話かけられ『あー、、ありがとうございます。今は何時ですか?』、『二時を少し過ぎた位ですかね、、』、『そうですか。。眠れるかな。。』と言うやり取りをしたのを微かな記憶として残っている。

眠れるかどうか?そんな心配は杞憂に終わり、何と無しに痛みを感じるけれど、それよりも麻酔の残り?みたいな感覚で、ボーっとしていて、とにかく眠い。私は手術と言う事もあったとしても、6時間以上、ぐっすりと眠っていた状態から起きて、再度ぐっすりと眠りについた。手術の当日は食事は食べない事になっていて、誰も起こす人もいなかった。

体が柔らかいベッドに寝がえりをうてない状態でドンドンと沈んでいく。

手術の翌日が一番の正念場

6時に起床。放送と同時に明りが付けられていく。その日も担当者が、おはようございます。と言う挨拶をしていたのだろうが、耳には入らなかった。ただ、眩しい光で意識が起きて、その時には麻酔の残りもなくなっていて、感じたのはトンデモナイ痛みだけだった。背中とベッドが完全に固定をされてくっついてしまっているのか?と思える位に身動きをしようとしても手足をバタバタさせる事が出来るだけで、寝がえりの一つもうてない状態からこの日は目が覚めた。

急いでナースコールを押して看護師さんに痛みを訴え、痛み止めの点滴を追加をして貰った。余程の強力な物だったのか?押すボタンを渡されて、一回押したら、点滴が垂れて体の中に入ります。と言われた。大急ぎで私は即座にボタンを押したが、確かに冷たい感覚が腕から入ると、すっと何となく浮かんだ気分になるのだが、ものの数秒程度でその感覚もなくなり、また激しい痛みに襲われた。

この時のピークの痛みは、声の振動だけでも痛みが強くなるほどで、看護師さんに対しても、まだまだ全然痛い!もうありったけの痛み止めを使ってくれ!と私は声を荒げていた。

ベッドの両端にある取ってに手をかけて必死で寝がえりをうつために、右手では自分の胸元に向けて力を振り絞り、左手では体を突き放すように力を込めたが、全くびくともしない。

この世の中で誰とも共有する事が出来ないもの。それはいくつかあるかもしれないが、痛み。と言うのもその一つである事は間違いないだろう。それは心の痛みも含めて。
近くに看護師もいれば、大部屋での入院となっているので、他に5人の入院患者もいたので、現実的には全くそんな事はないけれども、私は周りに誰も居ない一人ぼっちになった感覚になっていた。

そうなるとムクムクと、私の抱えている厄介な持病の一つである、希死念慮が現れ脳内を駆け巡る。『死にたい、死にたい、死んだ方がマシだ。死んだ方がマシだろ?』そんな概念が頭を占めるようになるなっていくが、何とか自分の中では踏ん張れた。『ここは病院で、今は体中に心拍数とかのチェックをするのが付けられている状態だ。どうやって死ぬんだ?ぼけ!今はな、死ぬよりも自分でクソが出来るようになる方が先なんだよ!』と厄介な自分にきつく脳内で言い聞かせながら、何度挑戦をしても上手くいかない寝返りに挑戦を続けた。

朝から何時間にも渡り、この状態が続いていた為、当然ながら朝食。と言うのは抜かせて貰っていた。とてもじゃないけれど、食べられる状態ではないです。と言う形で。

その間にも看護師さんが痛み止めについてどうするか?バイタルをチェックしながら、あれを使うか?なんて小声を言っているのが聞こえてはくるが、こっちはそれどころではない。そんな時に、ひょい、と少し離れた場所から初めて見る顔の男性が現れた。

『クリスティーネさん。朝ごはんを食べられなかったみたいですが、起き上がるのが難しいのであれば、横になったままの状態でも食べる事が出来るおにぎりとかだったら、食べる事が出来そうですかね?』そんな提案をしてきた男性は、寝ている私と顔を合わせるように首を横にもたげて、優しい口調だった。

痛さでろくに目ヤニも取れていない状態で霞む視界の先にいたその男性は、学生時代の友達のT君に顔立ちや雰囲気が似ていて、急に気持ちも若返った気分にもなったり、痛いけれど寝ている状態でおにぎりだったら、食べる事も可能かな?と思って、私はその提案に対して、可能であればそうして頂きたい旨を伝えた。おにぎりは昼には間に合わないけれども、夜には間に合うとの事だった。

合計で4つ目?ぐらいになる痛み止めの点滴が効き始めたのか?本来はベッドを90度まで上げて食べる予定だった昼食も、45度ぐらいまで上げて、自分で茶碗を持って手繰り寄せるようにして、食べる事が出来た。ここから、痛み止めの効果と、寝返りをうつコツを自分の中で掴む事が出来て、急回復をしていく。

私が昼食を食べている姿を見た看護師さんが、朝、あれだけ痛がって体も動かせない状態だったのが御飯も食べる事が出来るようになっているのを見て、少し感動をしました。と言ってくれた。何となく気持ちは伝わるのですが、この時点では、まだ自分で起き上がる事が出来る状態ではなかったので、言われて照れみたいなのと、申し訳なさを感じながらも、微妙な気持ちになった自分がいた。

基本的には、腰の手術をしたばかりの状態で、普通に仰向けから起き上がる。と言うのはNGで、横になってから体をよじるような形で起き上がるのが術後の正しい起き上がり方になるみたいです。その為に横になる練習をひたすらこの時間帯はしていた。

車椅子に乗る事が出来た!

昼食を食べ終わってからも痛み止めが効いてくれていて、寝返りがうてるようになっていた私は、寝返りをしては仰向けになる。を繰り返していた。布団が柔らかく、仰向けになると体が沈んでいくので、寝返りでベッドの端に逃げ込む必要があったからだ。

もちろん、腰の痛みはまだまだ残っている状態ではあるが、看護師さんが来て、車椅子に乗って付き添いだろうが、トイレで用を足せるようにならないとカテーテルを抜く事が出来ない。と言われて、意を決して車椅子に乗る事に挑戦をする事になった。

看護師さんが車椅子を支えてくれていて、私がベッドから起き上がり、車椅子に乗り換える。必然、その瞬間には少し立ち上がらないといけないが、とにかくまずは、起き上がる事から始めないといけない。

看護師さんが、ちょっと笑っていた位に、私は腕を中心に上半身に力を入れていた。当然、顔も歪みきっていたんだろう。腹に痛みを感じるほど、上半身の力を入れた甲斐もあってか、何とか起き上がる事が出来た。後は立ち上がり、少し体の角度を変えて、車椅子に身を預ける。難しいかな?と思っていたけれども、案外と立ち上がる痛みは大してなく、簡単に。とまでは行かないけれど、無事に車椅子に乗る事が出来た。

車椅子に乗ってからは操作方法。トイレで立ち上げる時には、必ず左右をロックするなどを教えて頂き、実際に個室のトイレで、今度は車椅子から便座に座れるかのチェックをした。無事にこちらもクリア。

この日、初めて看護師さんと同じ目的で持って、笑顔になれた自分がいた。程度の差はあれども、誰かと同じ目的で笑顔になる。と言う事は多くの人が当たり前のように日常生活の中で起きているかもしれないけれど、やはり非日常の中では貴重な瞬間となり、私自身は実物の笑顔以上に心の中で笑顔になれた。

朝の起床時間から随分とお騒がせをしてしまい、珍しく?執刀医の先生が来て、痛みでもがいている私に対して、絶妙な斜めのポジションで缶コーヒーを片手に『痛みは術後の時間の経過とともに確実に減少をします。確実にです!』と色々とトータルで言えば、この先生は徹頭徹尾ジョジョの世界で生きているような人間だな。と思いながらも、瞬間瞬間、確実に良くなっていく。と言う非常に大きな希望を私にくれた言葉だった。

無の極致に至る

車椅子でのテストも無事にクリアをして、自力でトイレにいけるようになった。そうなるとカテーテルを取る事が出来る。

以前に盲腸の手術をした時にもカテーテルを取って貰ったけれど、その時と同じ感覚でいたのですが、当時はカテーテルを取って貰った後に、自分でオムツも脱いで着替えた。でも、この時はカテーテルを取って貰った後に看護師さんに丁寧に拭いて頂きました。

何となく流れ的にそんな気がしていた私は、その時にどう自分の中で構えておけば良いのかが分からないまま、その時を迎えたのですが、椎名誠さんの著書の中で、『人生は年齢とともに、いつかを回収していく』と言うようなフレーズを思い出し、意外と早かったな。と思った後に上を向いて静かに目を閉じて、後は無になった。

無・無・無。この時の私の無のさまを仏様と言うのが本当にいて、見ていたら、『お前、マジで無ってるよ。すげーよ。』と褒めて貰えるレベルに充分に到達をしていたと思う。

拭いて貰い、自分の下着に着替えさせて貰ってからは、疲労がドッと出た。朝起きてから、激痛で上述をしたボタンを押すと点滴が垂れる。と言うのは、大麻だったのですが、途中で気がついて連打をしたのですが、よーく読むと、間隔が空いていないと垂れない仕組みになっていたみたいで、無駄打ちでした。

いずれにせよ、多少の騒動?みたいにな事を起こしてしまった後に、何とか車椅子に座る事も出来た。苦しみから共通の喜びを味わう。そしてその後に、下を拭いて貰う。と言う、人生を凝縮したような時間が過ぎた訳だから気持ちとして疲労感で一杯になるのも仕方がない。

今日は晩御飯を食べて終わりかな。それにしても車椅子で少し大変だけれど、トイレにも自分で行けるようになれて良かった。そんな事を考えていたら、リハビリの担当者が今度はやってきた。

今度は歩行補助機に挑戦!

仰向けで寝ていると、腰が沈んでしまい痛みが増してしまうので、横向けでベッドの端で寝ていたら、その顔立ちの整ったリハビリ担当者がやってきた。

『はい!クリスティーネさんどうも!リハビリ担当です。』
『はー。。リハビリですか?もう車椅子に乗れるようになったので、本日分は終わりかな?と思っていたのですが。』
『それは、看護師さんにやって頂いた事で、リハビリとは違います。』
『え?マジで?ちなみに、何をするのでしょうか?』
『歩行補助機を使えるか?試してみましょう。これが使えるようになると動きも早くなりますよ。』
そう、リハビリ担当の方が言いながら、歩行補助機を持ってくる。

『立ち上がって、これに手を預けて移動できるかやってみましょう。』
断れる様子もなければ、そうした発言を挟ませない。そうした淡々とした口調が特長で何だか気風が良い。言われている私も何だか清々しい気持ちで負けた!と思わせてくれるだけのテンポで私はもう一度、立ち上がる事になった。

立ち上がるのは本当に痛いけれど、一度立ち上がってしまえば、痛みはほとんどない状態だったので、この日のリハビリはアッサリとクリアをする事が出来た。

歩行補助機は確かに車椅子よりも快適で、日数としては二日ぶりになるのか?自分の身長の目線。と言うのが随分と新鮮に思えた。一通りに歩行補助機でぐるぐると動いているとリハビリ担当の方は、背が高い私の為に工作をしてくれた。

歩行補助機に工作をして、少し手を当てる部分を高くして貰った

手間暇をかけて工作をしてくれた事に、この場を借りて、只々感謝を申し上げたい。正直高さは、全然足りなかったのですが、入院期間中は自分専用の歩行補助機。と言う感じにカスタマイズされた歩行補助機を見ては、少しニヤニヤしている自分がいました。

おにぎりで涙

リハビリも終わり、流石にこの日の予定は食事だけとなりました。基本的に夕食の後に、何かがある。と言う事は他の入院患者を見ていてもなかったですね。それぞれが思い思いに時間を過ごす。ただし、就寝時間は21時と早目。と言うぐらいですが夕食もその分、早目に出ます。

この日の夕食で出して頂いた食事

画像を見て頂ければ分かると思いますが、おにぎりです。あー、そう言えば、お兄さんが言ってくれていたな。と写真撮影の角度を考えて頂ければ分かると思いますが、この時には無事に自分で腰を上げて食べる事が出来るようになっていたけれども、おにぎりを見た瞬間的に涙腺が緩んで、大粒の涙をこぼしました。

この後も、おにぎりが少し続いて、看護師さんを捕まえて、『普通のお米に変えて大丈夫です。変更をしてくれた方には感謝をお伝え下さい。』と言う事で、普通の白米になりましたが、それまでは食事で食べる前に『頂きます。』は言っていたのですが、おにぎりの時には、その後に、『ありがとうございます。』と言っては、泣いている自分がいました。

仕事だろうがなんだろうが、自分を見てくれている人がいる。気にかけてくれている人がいる。工作された歩行補助機や食事で出して貰っていた、おにぎりは、それが形になったもので、厄介な持病を持つ私には本当に感謝をしても、しきれないぐらいに優しさを頂けました。

本当にありがとうございました。

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