つい最近まで、フランスに関するニュースの見出しには「極右」の文字が散見されましたが
オリンピックの直前から「極左」の文字が見出しを飾るようになりました。
https://olympics.com/ja/paris-2024/the-games/the-brand/mascots
先日行われたオリンピックの開会式でも一部フランス革命に言及した演出がみられましたが、言葉としての右翼と左翼はフランス革命まで遡ります。
以来、二世紀半に渡って右翼も左翼も時おり暴力化してきましたが、反体制勢力が武器を手にしながら現体制勢力の軍事力や警察力に対峙した結果、帝政ロシアや中国を始め、世界各地で革命が起きました。
(※ 日本における右翼・左翼の歴史について、無料で閲覧可能な資料が見当たらないので、警察庁の資料を下記に引用します。)
第2章 警備情勢の推移
1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党 [ PDF ]
2 「テロ、ゲリラ」と展開し暴力革命を目指す過激派 [ PDF ]
3 社会情勢とともに変貌する大衆・労働運動等 [ PDF ]
4 国内外の情勢に敏感に反応した右翼 [ PDF ]
5 重大事件等を展開した日本赤軍その他の国際テロリスト [ PDF ]
6 北朝鮮によるテロ等 [ PDF ]
7 対日有害活動 [ PDF ]
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さて、オリンピックの開幕直前に高速鉄道の信号ケーブルが切断され、週末には通信ケーブルが切断されたことが大きく報道されましたが、バブル経済の頂点へ向かっていた頃、日本でも同様の(当時はゲリラ事件と呼ばれた)テロ事件が発生していたことをご存じない方も多いようです。
戦後、様々な左翼グループが成田空港建設反対闘争や日本国有鉄道(国鉄)の数多い労働組合と共闘しました。成田ほど頻繁ではありませんでしたが、国鉄に対しても破壊活動が行われました。戦後間もない頃は脱線事故を引き起こすようなサボタージュが中心でしたが、1980年代半ばの三度に渡る大規模な通信ケーブル・信号ケーブル切断は真新しいものでした。
通勤・通学の足を奪われた一般市民は、ストライキの度に、国鉄の各労働組合に対する憎悪をつのらせていましたが
中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)と動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)が引き起こした三度に渡る同時多発ゲリラ事件は一般市民を完全に敵に回しました。
その後、紆余曲折を経て、日本国有鉄道は分割民営化されました。その際、JR各社は多数の労働組合員を雇用しませんでしたが、この問題の解決には四半世紀を要しました。現在JR各社では正社員の比率が下がり、協力会社(下請け・孫請け)の社員が様々な分野で活躍されているようですが、労働組合問題は依然として燻り続けているようです。
1985年11月29日
1986年4月29日
1986年9月24日
https://www.youtube.com/watch?v=catdWl-Aiic