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右が左・左が右(ウクライナ対ロシア戦については、戦争反対が極右の役割に)


サッカー選手をはじめ、スポーツ界を中心とする抵抗も虚しく、フランス(国民議会選挙)の右旋回は不可避であると、連日、報道されています。

欧州だけでなく世界各地で右派が勢いを増していますが、少し前の記事でもふれた通り、ウクライナ支援の縮小・中止を志向する極右勢力に対する庶民の支持が高まる状況を眺めながら、プーチン大統領はほくそ笑んでいるようです。

さて、イスラエルの次にユダヤ系市民が多いアメリカをはじめ、国内に居住するユダヤ系市民の政治的な影響を無視することができない国々のガザに対する態度は冷淡ですが、セオリー通り、右派はイスラエルを支持し続け、左派は早期の停戦を模索しているようです。

一方、突き詰めるとウクライナとロシアの戦争は他人事に過ぎない、戦場から遠く離れた、慢性的な財政赤字に苦しむ国々においては、ウクライナ支援を続ける左派が国民の支持を失い、ウクライナ支援を直ちに止めそうな右派が勢いを増しています。(アメリカ・ファースト、各国の国民ファースト、等々。ついでに、都民ファースト。)

多数の国々で右派が左派のように振る舞い、左派が右派のように振る舞う現状について、韓国の記者が書いた(下記の)コラムが目に留まりました。少子高齢化が進み経済成長が鈍化した各国において貧すれば鈍する状況が続く中、伝統的な保守主流はいま暫く安泰かもしれませんが、長年風雪に耐えたリベラルの灯は消えつつあるのかもしれません。お時間があれば...

戦争反対が極右の役割になった現実【コラム】

2024-07-02

チョン・ウィギルの世界、そして 
 
戦争と対外膨張を擁護した極右が軍事介入に反対し、現実主義に忠実だという保守主流や進歩に近いというリベラル勢力が非妥協的な軍事介入を主張する現実のもとで、私たちは反戦と平和のためにいったい誰に期待すべきなのか。

反戦と平和は進歩とリベラル勢力が強調する価値だ。しかし最近の西側では、少なくとも戦争反対は極右の役割になったようにみえる。

30日にフランス総選挙の第1回投票で1位になった国民連合(RN)、ドイツの欧州議会選挙で与党の社会民主党を抜いて1位になった「ドイツのための選択肢」(AfD)、イタリア政府与党のジョルジャ・メローニ首相の「イタリアの同胞」(FdI)、ハンガリーのオルバン・ビクトル首相のフィデス(青年民主同盟)などの極右勢力の対外政策の懸案に対する共通点は、ウクライナ戦争への介入に反対あるいは消極的だということだ。米国でも共和党のドナルド・トランプ候補がウクライナ戦争への介入に消極的あるいは反対で、特に白人のナショナリストや右派ポピュリズム指向の支持層が、米国の海外軍事介入とウクライナ戦争に反対している。

国民連合の指導者であるマリーヌ・ルペンは、今回の総選挙で勝利しジョルダン・バルデラ代表が首相になれば、エマニュエル・マクロン大統領が推進するフランス軍のウクライナ派兵を阻止すると強調した。バルデラ代表は「金脈を握るのは首相なので、大統領にとって軍最高司令官の地位は名誉職」だと述べ、大統領の国防外交の権限にまで干渉する意向を表明した。

西側の保守とリベラル主流は、極右勢力がウクライナ戦争への介入に反対するのは、ロシアのウラジーミル・プーチンの体制と一心同体である権威主義勢力であるためだと非難する。プーチンのウクライナ侵攻を擁護したり傍観するのは、主権と自由を無視するこうした者たちの認識のためであり、こうしたことはロシアの侵略行為の拡大をほう助するものだと警告する。このような主張が正しいとしても、問題は西側でなぜこのような極右勢力が躍進するのかだ。

西側、特に欧州で極右が主流政党や政府与党になる背景であると同時にこれらが掲げる最大のテーマは、移民と難民だ。欧州における現在の移民と難民問題の根源は、冷戦崩壊後の西側の軍事介入だ。西側は、1990年代初めのユーゴスラビア内戦への介入にはじまり、中東で湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争、リビア内戦、シリア内戦、イスラム国(IS)撃退戦を経て、現在はガザ戦争とウクライナ戦争に介入している。西側は自由と民主主義、人権を名目に、こうした戦争を起こしたり介入した。名分が正しかったとしても、結果は自由と民主主義、人権からかけ離れている。西側が集中的に介入した中東は、住民にとっては地獄や煉獄になった。特に欧州諸国が率先して介入したリビアは、今はどうなっているのか。民主主義はさておき、まともな政府も存在せず、住民たちは恒常的な内戦に苦しめられている。

その結果は、地中海を越えて押し寄せる難民の行列だ。私たちは今でも毎日、地中海で遭難して死ぬ難民の悲劇を目撃している。そして欧州諸国内では、難民と移民に対する反発と憎悪が強まり、極右の基盤となった。極右政党は、政府が国民の面倒をみずに海外に出ていき軍事介入を行っているという立場をとるため、そのため手段としては、海外への軍事介入と戦争に反対せざるをえない。

保守やリベラル主流は、主権と自由、民主主義を擁護するという名目のもと、交渉と妥協よりも非妥協的な軍事介入のドグマに陥っているのではないだろうか。創党当時、平和主義に基づき北大西洋条約機構(NATO)脱退まで主張していたドイツの緑の党は、現在の連立政権を率いる社会民主党に圧力をかけ、ウクライナへの兵器提供など、ドイツのウクライナ戦争介入を追求している。緑の党のアンナレーナ・ベアボック外相は連立政権内でウクライナ戦争に対しては最高のタカ派であり、ロベルト・ハーベック副首相兼経済相は自身はいまやドイツの「防衛産業相」だと自慢した。ドイツでは防衛産業相はナチス時代にあった軍需大臣を指す。

一方、ルペンはウクライナ戦争前、NATOの限りない拡張は「非理性的」であり、「ロシアに対する冷戦はロシアを中国の懐に抱きこませること」だと批判した。戦争が勃発すると汎欧州国家会議を呼びかけ、「ロシアはドンバス地域から撤退し、クリミア半島はもはやウクライナに返還できないので、ロシアとの合併を認定」することを主張した。少なくともロシアと交渉や妥協をしてみようというルペンを、ただ批判することしかできないのかどうかは疑問だ。

戦争と対外膨張を擁護した極右が現実主義路線を取り、現実主義に忠実だという保守主流や進歩に近いというリベラル勢力が非妥協的な軍事介入を主張する状況は、錯綜した現実だ。戦争反対と平和追求のために交渉と妥協を主張して推進させる勢力はいったい誰であり、私たちは誰に期待しなければならないのだろうか。

ハンギョレ新聞社
チョン・ウィギル|専任記者


フランスから米国まで各地で勢力伸ばす極右、かつては過激に思えた政策が今は主流に

ギデオン・ラックマン

英フィナンシャル・タイムズ紙 2024年6月18日付

フランスの極右は、これから先、単に「右派」として知られたいと考えている。

そのロジックは分かる。

極右政党「国民連合(RN)」は目前に迫ってきたフランス議会(下院)選挙の世論調査で他党を大きくリードしている。

一方、伝統的な右派は壊滅的な状態に陥っている。

RNが7月にフランス議会の最大勢力になれば、同党はフランス保守主義の定義を変えたことになる。

極右を右派としてリブランドするか否かという問題は、フランス以外にも広く鳴り響く。

ドナルド・トランプが自身のイメージに沿って共和党を一変させた米国でも似たような問題がある。

自由市場と国際主義を尊ぶ、ジョージ・H・W・ブッシュの伝統的な共和党は今、存在しないも同然だ。

今ではトランプの「米国第一」の排外主義が保守運動を牛耳っている。

イタリアと英国では平行した議論が繰り広げられている。

イタリア首相のジョルジャ・メローニを「極右」政治家として定義するのは、今もまだ理にかなうのか。

ある世論調査でナイジェル・ファラージの「リフォームUK」が与党・保守党を抜いた今、英国の総選挙後にファラージとその理念による保守党の逆乗っ取りがある可能性さえ取り沙汰されている。

右派と極右の違いは何か?

では、右派と極右の間にはどんな区別が残っているのか。決定的な線引きは、民主主義に対する態度だ。

もしある政党の指導者が選挙の結果を受け入れることを拒み、「ディープステート(闇の政府)」(実際には政府そのもの)を叩き潰したいと考えるとしたら、その人は明らかに極右だ。

だが、ある政党がリベラル派にとって不快で復古的、さらには人種差別的と思える政策を推進しつつ、それを民主的な政治と法の支配の枠組みのなかでやるとしたら、「極右」という言葉はもう適切ではないかもしれない。

イデオロギーと政治運動は時代とともに進化する。台頭するこうした勢力の一部は単に、右派政治の新しい顔なのかもしれない。

ちょうどロバート・ピールが19世紀に英国の保守主義を塗り替えたり、バリー・ゴールドウォーターやロナルド・レーガンが20世紀に米国右派を作り替えたりしたようなものだ。

政治学者は「オヴァートンの窓」について語る。その時々の主流派の世論によって受け入れられる政策の範囲のことだ。

トランプやファラージ、RNを率いるマリーヌ・ルペンといった政治家がやったことは、かつて極端な右とみなされた政策が主流となるように、その窓を動かすことだった。

「オヴァートンの窓」を動かす

これが最も明らかなのは、トランプの「壁建設」政策の変型バージョンが今、西側諸国の議論を形成している移民問題だ。

多数派が政策に同意している時に、本当にこうした政策をまだ「極右」と呼ぶことができるのか。

例えば「ナショナル・ポピュリスト」のような別の言葉の方が正確なように思える。

トランプやその仲間は、ロシアとウクライナに対する態度についてもオヴァートンの窓をずらした。ここでは新たな形態の保守主義と極右権威主義の間の線引きが少し曖昧になる。

トランプとルペンのような人物は、ウクライナへの支援が国益にかなうと考えない冷酷な孤立主義者であるためにロシアとの合意をまとめたがっている可能性はある。

だが、こうした指導者とウラジーミル・プーチンとの戯れは、彼の権威主義への敬意を反映している可能性もある。

トランプは2020年の大統領選で負けた後、紛れもなくその本性を表した。選挙結果を受け入れるのを拒んだこととクーデター未遂をけしかけたことは、トランプが骨の髄まで反民主主義であることを示した。

上院議員のマルコ・ルビオやミッチ・マコネルなど、もともと主流派だった共和党の政治家は、トランプを支持することで基本的な原理原則を裏切り、自分自身を貶めた。

ルペンやメローニは中道にシフトしたが

しかし、ルペンとメローニは反対方向にシフトしてきた。

メローニはこれまで、権力を握ってから比較的普通の保守派のように見えた(もっともイタリア左派の多くは依然、メローニが隠れた思惑を抱いていることを大いに疑っている)。

ルペンについて言えば、過去10年間の戦略全体が極右を「脱・悪魔化」させ、中道へシフトさせることだった。

その目的のために、ルペンは自身の父親を党から追放することさえやり、最近ではドイツの極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」と決別した。

では、これはRNが7月にフランスで権力の一部を握ったとしても我々は安心していられることを意味するのか。

絶対に違う。

ルペンの欧州政策の一部――例えばフランス法の優位を取り戻す策や欧州連合(EU)予算へのフランスの払い込みの停止――は経済的な混乱を引き起こし、EUの存続を脅かす。

だが、こうした政策はまだ、民主的な枠組みのなかで正当に追求することができる。

本当の危険が訪れるのは、危機の雰囲気がRNに緊急権限を求める口実を与え、ひいては権威主義に入り込む一線を越える場合だ。

フランスの極右勢力のなかには、最近の記憶の中で悪意ある反民主的な考えに手を出した人が大勢いる。

ルビコン川は民主主義と法の支配の尊重

右派と極右を分かつ線は民主主義の尊重だと主張すると、中身より形式を重んじているように見えるかもしれない。

多くの人は、トランプやルペンのような政治家について本当に不快なことは、移民から女性の権利まで幅広い争点について彼らが提唱している政策だとの見解を抱いている。

だが、民主主義の構造が存続する限り、有権者はいずれこうした政策を拒否する機会を手に入れる。

米国は2020年の選挙でトランプを放り出した。ポーランドの超保守派政党「法と正義(PiS)」は昨年、政権の座を失った。

民主主義と法の支配の尊重が今も、保守の政治と極右の権威主義とを分かつルビコン川だ。

(文中敬称略)


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