宮崎空港の誘導路の路肩部分(ショルダー)で太平洋戦争末期に投下された不発弾が爆発してから2週間余りが経ちましたが
一昨日の夜に小型の磁気探査装置で不発弾の緊急調査が始まったようです。
宮崎空港と同様に、終戦まで航空基地として使用されていた(跡地に建設された)仙台空港・福岡空港・松山空港・那覇空港でも近日中に調査が行われるそうです。
終戦から79年を経た日本国内では不発弾処理の件数は年間1,000件~2,000件余りですが、1975年まで戦争が続いたベトナムでは地雷と不発弾の処理が延々と続いています。
また、ウクライナやガザをはじめとする紛争地(戦場)には膨大な数の地雷が埋設され、大量に投下される爆弾が一定の割合で不発弾になっていると推測されますが、争いが終息しない限り本格的な処理に取りかかることはできません。
紛争地の政治家と軍人の皆さんには、世代を超えて戦争が生み出す憎しみの連鎖と共に
この先、100年の単位で地中に眠り続ける地雷や不発弾にも思いをはせていただきたいと思います。