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2月22日は竹島の日 -(勝共)反中の旗を掲げながら、反日の実態を隠す旧統一教会
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文鮮明教祖と韓鶴子総裁
昨年提出された解散命令請求について、旧統一教会と文部科学省の双方から意見を聴く初めての審問(非公開)が、今日、東京地方裁判所で開かれるそうです。
また、今日は(年々、ネコノミクスが加熱する)猫の日
および、忍者の日
ついでに、スニーカーの日
ですが、竹島の日であることを忘れてはなりません。
竹島といえば、最晩年に文鮮明教祖と韓鶴子総裁が自家用大型ヘリコプター(シコルスキー社製)で堂々と竹島(独島)を訪れたことを、右派の政治家や論客の皆さんが(不勉強で知らない可能性もありますが)知らないふりをしていることは不思議です。
国境問題・領土問題に限っても、文鮮明教祖が親日には程遠い考えの持ち主であったことは明らかですが
そのような考えの持ち主が創った旧統一教会と関連団体・友好団体のうち、例えば、国際勝共連合は尖閣諸島問題については中国を徹底的に叩き続けています。
一方、竹島(独島)については沈黙を貫いてきましたが、慧眼の持ち主は数十年も前に旧統一教会と関連団体・友好団体の実態を見抜いていました。
以上、竹島の日に備忘録として書き留めます。
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竹島の今(上)観光地化 韓国から年20数万人が来島「上陸できれば自慢できる場所」
2024/2/19
島根県内の男性は昨年、竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))上陸を思い立った。博多港から韓国・釜山に渡り、日本海に面する浦項(ポハン)を経て、旅客船で鬱陵島(ウルルンド)へ向かった。
鬱陵島には、韓国側が竹島を自国領とする関連資料を展示した独島博物館がある。「博物館だけでも訪れよう」という軽い気持ちだったが、衝動的に竹島に渡りたくなった。
鬱陵島南部の港に着き、竹島行き高速船の券売窓口に並んだ。係員に「海洋警察への届け出と許可が必要」と言われ、片言の韓国語と英語で意思疎通を図り、パスポート写真を撮影して通信アプリで送信し、乗船券を予約した。費用は往復6万ウォン(約6740円)。「ビザ申請のような面倒な手続きは全くなかった」という。
満員の客の多くが韓国人年配者で、外国人は自分のみだった。およそ2時間。竹島が見えてきた。
▽直接近づけない島
竹島は隠岐諸島の北西約158キロにある。江戸時代以降、山陰に住む漁師の漁場で、日本政府は1905年に島根県に編入した。しかし、戦後に韓国が領有権を主張し、52年に「李承晩ライン」を設定して竹島を取り込んだ。54年6月からは警備隊を常駐し、以後は直接日本から近づけなくなった。
韓国が鬱陵島から約88キロ離れた竹島に観光船を就航させたのは2005年3月。観光客の往来が自由にできれば実力支配が強まる。同年に島根県が制定した「竹島の日」条例への対抗策とされる。
実際、多数の観光客が上陸する。韓国外交部によると、22年は過去最多の28万人、23年も23万3千人が来島し、05年からの累計は320万人に達した。
▽秘境好きが夢見る場所
巨大な二つの奇岩が海面から突き出す竹島。上陸した島根県の男性によると、歩き回れるのは船着き場のみで滞在時間は40分ほど。「他の観光客が楽しむ姿を見ているうちに時間が過ぎた」という。島の頂上付近にある警備隊の建物に向かってロープウエーが通っており、船で運んだ差し入れが上げられていた。「鬱陵島ツアーに関連した一大観光地。島根県という感じは全くしない」と振り返る。
11年前に竹島で取材したライターの安宿緑さんも同様の感想を持つ。多くの韓国人は竹島に行ったことがない。「韓国人の秘境好きが夢見る場所。上陸できればみんなに自慢できる場所になっている」という。
一方、日本人はパスポートを持ち韓国側から竹島に上陸する以外に道はない。
外務省は、こうした行為は竹島の韓国主権を追認するとして「韓国の出入国手続きに従った竹島入域の自粛」を呼びかけている。
ただ、近年は韓国側が日本人入域で「管轄権」「領有権」を訴える実例は確認されていない。観光地という既成事実化が進んでいる。
◇ ◇
19回目となる2月22日の島根県「竹島の日」が近づく。韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の就任で日韓関係は修復に向かい始めたが、日韓で主張が対立する竹島問題が議論の俎上(そじょう)に載らない。竹島問題を巡り、各方面で今、何が起きているのか伝える。
(隠岐支局・鎌田剛)
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竹島の今(中)日韓研究者の論争 日本の新発見で、韓国の「解釈」覆す 「正確な認識持って」
2024/2/20
19回目となる2月22日の島根県「竹島の日」が近づく。韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の就任で日韓関係は修復に向かい始めたが、日韓で主張が対立する竹島問題が議論の俎上(そじょう)に載らない。竹島問題を巡り、各方面で今、何が起きているのか3回連載で伝える。
(隠岐支局・鎌田剛)
近年、竹島問題で大きな進歩があったのは、明治政府の最高行政機関の太政官が1877年3月に示した領土に関する見解「太政官(だじょうかん)指令」の研究だ。
前年10月、島根県は「竹島外(ほか)一島」の地籍編入について、山陰西部に所属すべきであるとの伺を内務省に提出。「竹島」(鬱陵島(ウルルンド))と「松島」(今の竹島)の絵図を添付した。「原由の大略」という説明文にも現在の竹島についての記述があった。
内務省は島根県への回答前に太政官に伺を出し、太政官は17世紀末の日朝交渉で鬱陵島渡航が禁じられたのを踏まえ「竹島外一島のことは本邦と関係がないものと心得よ」と指示した。この一文が太政官指令だ。
▽正しい「解釈」を探る
韓国側は「外一島」を現在の竹島と解釈。根拠として県の説明文や絵図で「外一島」が現在の竹島を示しており、中央政府が領有権の放棄を宣言していたと強く主張してきた。
島根県竹島問題研究会の一部委員は、明治政府のその後の記録などから「外一島」も「鬱陵島」を指すと反論してきたが、太政官指令の本文に詳しい記述がなく、後年の記録が根拠となっていた。
そこで「竹島外一島」の真意を究明しようと、研究会の委員経験者を中心に、有識者有志が2018年10月に「竹島資料勉強会」を結成。文献の分析や議論を深め、22年3月に239ページに及ぶ報告書をまとめ、外務省に近いシンクタンクの日本国際問題研究所(国問研)から発表した。
この中では、太政官指令が決定された過程を総ざらいし、内務省が現在の竹島を意識せず、鬱陵島のみを対象に指令を出したと結論づけた。
▽新発見に韓国政府機関も反応
続いて22年4月、勉強会メンバーで県竹島問題研究顧問の藤井賢二さん(68)=兵庫県在住=が、新資料の発見を県ホームページで発表した。
1877年8月、大久保利通内務卿が長崎県令(県知事)が内務省に出した鬱陵島開発の伺に対する回答書で、島根県への太政官指令に関する記述があった。
回答書で大久保は、17世紀末、米子の町人が鬱陵島で朝鮮人に鉢合わせになったのを機に朝鮮と交渉し、幕府が日本人による鬱陵島への渡海を禁じた「元禄竹島一件」に言及した。
一連の事件は、現在の竹島について一切取り扱われておらず、島根県への指令は、竹島ではなく、鬱陵島のみを対象にしていたと裏付けた。「竹島外一島」は鬱陵島を示す強固な補強材料となった。
藤井さんは「(韓国政府機関の)東北アジア歴史財団が竹島資料勉強会の報告書に反応している」と韓国側の動きに注目する。
昨年12月、東北アジア歴史財団は機関誌で竹島資料勉強会の報告書に対する論文を掲載した。これまで島根県の研究に対応したのは主に慶尚北道の嶺南大学独島研究所だったが、藤井さんは政府機関の東北アジア歴史財団が反応してきたことに意味があるとする。
韓国にとって太政官指令は日本を揺さぶり、反論を封じる「最後の堤防」だった。しかし、藤井さんは、日本側の研究で状況を覆せたとし「日本の主張に韓国は対応できない現状を日韓の国民に知らせるのが重要だ。突き止めた史実を日本政府が国内外に訴え、報道機関や教員も正確な認識を持つ必要がある」と説く。
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竹島の今(下)隠岐では何が 小さいながらも芽生える新たな息吹
2024/2/21
竹島漁労の中心地だった島根県隠岐の島町久見地区では高齢化が急速に進む。1951年に480人だった人口は現在は97人。当時を知る人が相次いで亡くなっている。
12月末に93歳で急逝した池田京子さんは県「竹島の日」記念式典に出かけ、式典前の国民交流会でも発言した。2015年に87歳で死去した夫の邦幸さんが竹島アシカ猟の許可証を受けた最後の漁業者で、京子さんも竹島から運ばれたアシカが仮置きされた様子を鮮明に記憶していた。
隣人で竹島漁労を描いた絵本「メチのいた島」原作者の杉原由美子さん(80)は「自分を支え、守ってくれた人だった」とさみしがる。昭和、平成、令和を生きた京子さんの生涯を記録しようと考えていた直後の訃報だった。
1人の韓国人から「映画を撮りたい」
竹島漁労を知る先達の声を記憶し、返還を切に願う世代が先細る中で、1人の韓国人が「ドキュメンタリー映画を撮りたい」と杉原さんに申し出た。
東京都に住む韓国・仁川(インチョン)出身の金(キム)明允(ミョンユン)さん(32)。仁川大在学中の21歳に兵役を迎え「同じ人間に銃を向けたくない。誰も知らない遠くに行きたい」と独島(トクト)(竹島の韓国名)への配置を希望し、23歳まで独島警備隊で勤務した。
隊員は一般的な若者ばかり。当直勤務で満天の星を見上げ、兵役後の夢を語り合った。金さんは「今も兵役の友達が一番大事だ。夜中の会話が今の自分をつくってくれた」と述懐する。任務を終えると、島で芽生えた映画監督の夢を追うために渡仏した。
フランスでは日本映画と文化が高く評価され、中でも「楢山節考」「うなぎ」で知られる故今村昌平監督の作品に感銘した。教えを請いたいと、今村監督が創立した日本映画大(川崎市)に入学。2021年、リニア中央新幹線の工事で揺れる長野県大鹿村の人たちに密着したドキュメンタリー「大鹿村から吹くパラム(風)」を製作し、同年の東京ドキュメンタリー映画祭長編部門で準グランプリと観客賞を獲得した。
隠岐の人たちを見てほしい
次回作の制作費を募るためクラウドファンディングサイトを検索していたところ、英語版「メチのいた島」制作を目指していた杉原さんのページに目が留まった。「これだ!」。自身と関わりある島を巡る映画を撮ろうと決めた。
金さんは来月、日本人の妻と生まれたばかりの長男を連れて久見地区に移住する。テーマは領土問題に特化するのではなく「空や星を見ながら風に吹かれ、住んでいる人を見てほしい。心がゆったりする映画にしたい」と隠岐の人たちの暮らしを伝えたいと考える。
杉原さんは「韓国の方という特別な意識はない。よくぞスポットを当ててくれたという思いだ」と3人の住まいを世話する一方、4月以降に学校や保育園での啓発活動に思いを巡らす。
領土交渉で日韓両政府の対峙(たいじ)が続く中で出始めた新たな動き。島根県が「竹島の日」条例を制定して19年。小さいながらも新たな息吹が、停滞が続く竹島問題の突破口になるかもしれない。
(隠岐支局・鎌田剛)