視点の自由研究No.80「視点_いい映像とは?」
昨年末、動画のワークショップをさせて頂きました。その時に改めて自分達の仕事を体系化、言語化したのですが、「いい映像」というそもそもの原点を考える機会ともなりました。今回は、このそもそも「いい映像」とは何か?について考えてみたいと思います。
「コミュニケーションがとれている」
最初に結論を言ってしまえば、いい映像とは見手側と作り手側の「コミュニケーションがとれている」ことだと考えています。
世の中には、数限りない映像があります。バラエティのように笑える映像、映画などドラマ性の高い感動する映像、社会問題と向き合うドキュメンタリー、著名人のインタビューなど多種多様な映像があります。
映画が誕生して以来、様々なジャンルが開拓され、そのジャンルで切磋琢磨され、自ずと各ジャンルともクオリティは日々高められています。そうした世界で何がいい映像か?を考えていくと、ただ一つ見手側と作り手側のコミュニケーションになってくるのではないでしょうか。
自分も近年、特に意識しているのが、こうしたコミュニケーションがとれているか?という点です。具体的に言えば、こちらの言いたいことが過不足なく相手に届いているか?
広告映像もWEB内では、認知を上げるCM的な素養と、商品の使い方を伝えるHow to的な要素に大別されてきており、いずれも視聴者にメッセージがちゃんと届くか?は大きな要素だと言えます。
どれほど、高額な予算をかけて、タレントを擁して、面白さを追求したCMだとしても、間違ったメッセージが視聴者に届いては意味がありません。かつては認知アップだけを狙いそうした見た目の面白さに特化したものもありましたが、WEBで数値化できる世界では、何より費用対効果としての側面が切っても切れない情勢になっています。投資した広告には効果を求めるのは経営者なら誰しもが思うところでしょう。
「すべての創作物は受け手のもの」
広告映像制作者ならわかるかと思いますが、自分達が作った映像は極論クライアントのものです。制作者としては世に出るまでの制作過程の中では考えうる限りの試行錯誤ができますが、一旦世に出てしまえば一切手出しできません。作ったコンテンツで世の人々がどう感じ、どう行動してもらえるかが広告の大きな仕事になるわけですが、作ったものを世に出したあとで補足の説明などはできない。ですので見手側に全てを委ねるしかありません。
思い返せば、すべての創作物は完成するまでは創作者の手元で試行錯誤が行えますが、一旦世に出るとその感想も批評も感動もすべて受けて側の裁量になると言えます。
自分も作ったコンテンツに関しては、それを受け取った方の感想が一番重要だと思っていて、如何に悪評といえど真摯に受けとめることが大切だと思っています。もし受け手に意図と違う感覚を持たれてしまったら、それは作り手側の制作過程においての練度が足りていないということ。この点は、作り手側の一端にいる者として自戒しておきたいと思っています。
「アートの魔力」
そんな創作の世界。映画のようなアートに近いジャンルになるとまた違った魅力となります。創作者の意図とは別に見手側が汲み取る感覚で見え方が変わるコンテンツだと言えるかなと思うのです。
映像は言葉に頼らないコミュニケーションがとりやすいコンテンツでもあります。だからこそ言葉にならない感動を与えることもできる。世に感動を与えるコンテンツは実はこの言葉にならない感情を描いているのではないでしょうか?
作り手と見手のコミュニケーション。双方があるからこそすべての創作は成立している。このすれ違いは人間が進化し、言葉を超えるコミュニケーションを身につけでもしない限り永遠に続くだろうと思います。そこが歯痒くもあり、作り手の面白さになっているのではないでしょうか。
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