【横浜街歩き】まいまい東京でガイドをするまで ①
月に一度、月末の夜に灯りがともる不思議なお店。土木酒場。
土木酒場のお客さんの松井幹雄さんから、
2022年11月末に「まいまい東京さんが新しいガイド並びにコースを探しているよ!」と耳寄り情報。
土木偉人偏愛者としては、土木偉人を知ってもらう大チャンスに乗らなければ二度とそんなタイミングは訪れまい!
ということで、まいまい東京さんに地元横浜で土木偉人を愛でるコースをプレゼンすべく、コース選定のための下見に出かけたのでした。
横浜の推し土木偉人なら、パーマー様でしょ!
文明開化期、未曽有の人口増加が予想された横浜の喫緊の課題が水不足。
飲み水も災害用水も全然足りない。
そこで、白羽の矢を立てられたのが、
香港で水道設計を設計していたイギリス人のH・S・パーマー。
神奈川県は1885(明治18)年にパーマーを招き、横浜の水道設計と工事を依頼しました。そのわずか2年後の1887(明治20)年、横浜水道が完成!
早い!給料は高い(小学校教員の初任給のなんと60倍!)けれど、海外のスーパーエンジニアに頼んで良かった!
そんなわけで、近代水道の父と呼ばれる存在になったパーマー様なのです。
横浜水道を辿るルートを歩いてみよう!
横浜水道の水源は津久井郡三井村(現:相模原市緑区三井)。
水道みちは野毛山浄水場(旧野毛山貯水池)までのほぼ直線の約44kmです。
ゴール(旧野毛山貯水池)のちょっと手前から歩いてみました。
*
何の変哲もない橋のようですが。。。
横浜コンクリートは、1953(昭和28)年に操業開始の老舗生コン会社さん。
日本で初めての生コン工場が出来たのは1949(昭和24)年なので、本当に老舗です。
ちなみに、初めての生コン工場があった場所は、東京スカイツリー。
藤棚から野毛山まで、アップダウンを繰り返すことから、「らくだ坂」とも呼ばれたそうです。あまりの急な勾配に荷車を引く人たちがお尻で車を押さえながら下っていたことから「尻こすり坂」と呼ばれるようになったそうです。
でも、ゴールまでもう一息!
旧野毛山配水池に到着!
今回はここまで。
らくだ坂と呼ばれるだけあって、ひたすらアップダウンの道でした。
残念ながら、西横浜駅からのルートはまいまい東京さんでは却下!
次回はここから、関内方面に下り、パーマーさんの業績の痕跡巡りと新たな土木偉人を巡っていきます。
つづきはこちらから
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