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外から見ているほど慶応の野球部は簡単ではない|「慶應高校野球部:『まかせる力』が人を育てる」(加藤弘士)

【面白かった度】★★★★★
【オススメ対象】高校野球ファン、「慶応だって推薦で選手集めてる」と文句言ってる人

容赦なく留年もある慶応

2023年夏の甲子園大会は慶應義塾高校(以下、慶応)の108年ぶりの優勝が大きな話題となった。しかしヤフコメでは批判コメントも多く見られた。その多くが同校OBたちによる決勝での大応援に対するものだったが、以下のようなコメントも目についた。

「『文武両道』とか言っているが慶応だって推薦で選手を集めてるじゃないか」
「やっていることは他の強豪私学と変わらない」

これらのコメントに対して私は激しく反論したい衝動に駆られた。慶応OBでもなく、創設者の福沢諭吉と同じ大分県出身ということくらいしか共通点はないのに、だ。

私は慶応の練習を何度か見に行ったことがある。失礼ながら実際に見るまでは「髪を伸ばした部員達が緩い雰囲気で楽しく練習している」という勝手なイメージを持っていた。だが練習を見て驚いた。グラウンドのなかでは選手同士、バチバチ火花を飛ばしていたからだ。
殺伐とまでは言わないが、そこだけを見ると確かに他の強豪私学と変わらない光景がそこにはあった。
異なるのは彼等が皆「塾高生」であること。つまり皆学力が高いということ。そして皆が大人に見えたということだ。

この本では慶応の推薦入試についてこう書かれてある。

<中学3年時の9科目成績が五段階評価で38以上である者>
<「中学校時代に運動・文化芸術活動などにおいて相応の成績を上げた者>

「スーパー中学生!」などと騒がれていても学力が基準を満たしていなければ当然入学できない。「相応の成績」が求められるのだから、全国大会の上位に進出くらいしておかないと基準を満たすことにならない。野球が上手いだけでは入学できないのだ。
つまりそこらの野球強豪校が実施している「野球推薦」「スポーツ推薦」とは大きく異なり、そのハードルはとても高く、推薦入学の資格条件を満たす中学生球児の数も限られるということだ。
これが「慶応だって推薦で選手を集めてるじゃないか」に果たして該当するだろうか?

入学できれば一安心というわけでもない。甲子園優勝投手だろうが有名プロ野球選手の子息だろうが、学業成績が基準に満たなければ容赦なく留年させられることは、高校野球ファンならばご存知だろう。練習内容は強豪私学のそれだが、慶応に相応しい高いレベルの学力は野球部員にも求められる。
このような環境で、彼等は全国の頂点に立ったのだ。これを『文武両道』と言わないのであれば、他に何と言うのか教えて欲しい。

大人に見えた野球部員

高校野球の現場に足を運ぶとこんな体験をすることが多い。例えばライター、カメラマン、編集者が監督と談笑をしていると、その前を通るほとんどの野球部員は「こんにちは!」「こんにちは!」「こんにちは!」とご丁寧にも三人それぞれに挨拶をしてくれる。それが何人も、何人も延々続くこともある。恐縮しつつも、私は心の中でいつも思う。
「そんな挨拶、社会に出たら絶対にしないんだけどな」
慶応の部員達はこんな儀式化した無意味は挨拶はしない。やっているのは、あなたや私が明日オフィスで行うであろう、普通の挨拶だ。それでいいと私は思う。

部員達は森林貴彦監督のことを「森林さん」と呼んでいる。
「森林さん、今ちょっといいですか?」
「いいよ」
およそ強豪私学のそれとは異なる、六本木ヒルズの何階かにあるオフィスで交わされている、先輩社員と後輩社員のような、ごくごく自然な会話が行われている。
慶応の部員が長髪なのは戦前からの伝統だが、その髪型とも相まって彼等がとても大人に、少なくとも大学の野球部員のように見えた。それは前回紹介した『高校野球と人権』(中村計・松坂典洋/KADOKAWA)に倣って言えば、森林監督が「保護すべき対象」としてではなく「権利を持った主体」として彼等を尊重しているからなのかもしれない。

さて、この本が白眉なのは、実際に深く取材しないと分からない、慶応独自の難しさに迫っている点にある。それは例えば、幼稚舎(小学校)から名門である慶応ゆえ、内部から進学した部員(恐ろしく家柄が良い)、一般入試を突破した部員(恐ろしく学力が高い)、推薦入学した部員(恐ろしく野球が上手い)と、野球のレベルが様々であること。みな学力もプライドも高いがゆえ「チームで一つになる」という難しさを毎年抱えるということ。
そういった「外から見ているほど慶応の野球部は簡単ではない」ということを、2019年から2022年までの、全国優勝の礎を築いてきた歴代キャプテン達に話を聞いている。この話が実に面白い。こんな面倒くさい連中を毎年マネジメントしないといけない森林監督の大変さがよく分かる。

ちなみに最終章の『仙台育英・須江監督の目』も、敗軍の将から慶応はどのように見えたかに迫っており、ここもかなり面白いのでオススメしたい。

慶応野球部を批判したい人たちにこそ「勇気を持ってこの本を手に取れ」と言いたくなる。慶応野球部ファンには溜飲が下がる思いのする一冊だ。


慶應高校野球部:『まかせる力』が人を育てる
加藤弘士
新潮新書
902円

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