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「小学校それは小さな社会」という映画の感想

前評判から行くかどうか迷っていた映画だったが、観てよかったと私は思った。終盤では、先生方の関わりに涙が出た。

こんな本気で児童と向き合ってくれる先生方は、誠実な人たちなのだろう。そして、この学校運営をしている管理職も、公教育の担い手としての「こどもまんなか」のような感性を持っていそうだと思った。

一方で、疑問を感じる場面も何度かあった。この日本独特であろう価値観が、その価値観に合わない子どもたちを取り残してしまうのではないか、という懸念も感じた。

以下の感想はネタバレになるかも


私がもやっとした価値観の部分。映画の中では、自発的に課題に向き合う子どもとして描かれている。そして、つまずきながらも前向きに努力することで、最終的には「克服できた」という良い話としてスクリーンに映し出されていた。目標を達成した子どもたちの顔は眩しいほどに輝いていた。

だけどね……という気持ちが残る。
普段、学校に馴染めない子どもたちと関わる立場として、またマイノリティの子どもを育てた身としては、どうしても拭いきれないものがある。

大事にしてるものの方向性が違うのだろう。
「それの助言はいる?」「それやるの??」みたいなモヤっとする関わりの場面が何度かあったから。

それでも、先生方の努力や子どもたちにかける思いがとても尊いことも事実である。我が子3人も公教育を受ける中で、人として生きる上での社会性を育んでもらったと私は思っている。

終了後に不登校だった子どもに意見を求めてみた


今回の映画は私1人で観たのだが、映画館の前で待ち合わせした娘たちに、昼食をとりながら映画のあらすじを説明した後、「君たちにとって小学校ってどんな場所だった?」と聞いてみた。(ちなみに、子どもの方から「どんな映画だったの?」と聞かれたのがきっかけ)。

外交的な末っ子は、「高学年は楽しかったよ!」と言っていた。
低学年では重度の行き渋りがあったが、4年生の先生との関わりを通じて学校への思いが変わり、5年生の先生のときに学校が楽しくなり、6年生では先生は嫌だったけれど、友達との関わりが楽しかったそうだ。

一方、内向的な長女は「小学校は暗黒期の始まり……」と言うようなコメントだった。しかし、「全部が嫌じゃないよね?」と少し深掘りしてみると、人間関係能力の土台は小学校でだいぶ培ったのだと感じた。

どの立場で観るかで感想が変わるのかもしれない


この映画は、言葉にするのが難しい。それだけ人の心を揺さぶる良質なドキュメンタリーだと感じた。

小学校での教育は、社会の歪みにつながる価値観が形成される場所になりうる一方で、社会的生活に必要な「正義」や「他者への信頼」を学ぶ場として、さまざまな挑戦を通じて自己信頼を養う場として機能していることがわかる映画だった。

そして、先生方に不信感を持っている人は、「こんな先生がよかった」という羨望を感じてモヤモヤするのかもしれない。それくらい、この映画に登場する先生方の熱意には敬意を抱かずにはいられなかった。  

私は、小学校には行かなくても社会の中で幸せに生きていける大人になれることを知ってるけれど、行けるなら行ったほうがいいと思ってる。
それは、小学校は勉強を学べるだけでなく、人との人との関わり方の他、いろんなことを学べる場で、しかも無料だからだ。

けれども、小学校に馴染めない子も確かにいる。その子たちに無理強いはしないし、してはいけない子もいる。合わない子には、とても厳しい場所なのだろう。

私は、この映画を通じて、「学校にいくこと」について改めて考える機会をもらった。
だから、本映画を見に行くか迷っている人は、ぜひ行って欲しい。そして、自分の目でみて、自分の価値観の揺れを体感して、自分の本音に触れる機会することを勧めたい。

今後の上映スケジュールは、下のサイトで確認ください。

最後になるが、映画のサイトで公開されてた多分野で活躍してふる人たちの感想から、私が共感したものを画像で添付する。

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