遊びから学ぶ ということ
「遊ぶことから学ぶ」について思うことをツラツラ…と書いてみます。
昨日までの連休3日間で、32時間の講義を受けてきました。内容は、視覚や知覚発達のについて「真剣に遊ぶ」ことを通じて学ぶ、というものです。
おばさん4人で真剣に遊ぶのは、周りからみたら??なのかもしれないけど、やってる本人たち、本当に楽しくてね♪しかも、今回の参加された方々がこれまたすごかったのですよ。
遊びから学ぶ…とかいうと、せっかく真剣に遊んでも、多くの人は思考的な理解をしたがります。
もしくは、この遊びはどんな意図があるんですか?どういう目的でこれをやらせたらいいんですか?みたいなことを聞いちゃうとかね。
それもさ、間違えてはないと思うんです。
思うけど、それだと、大人が枠をもっているの遊びを提供してる…という意味合いが大きくなっちゃわない??
真剣に遊ぶことからの恩恵をもらえなくなっちゃうよって、私は思う。
だけどさ、ご一緒したおばちゃんたち、真剣に遊んだのち、理屈を捏ねくりまわすことなく、感覚と感情を研ぎ澄ましてって感じて、自分の「今」を味わってるのが、本当に心地良くて。
互いにめっちゃ良い刺激になっていたと思われます。
とくに3日目は、みんなで共に遊ぶ がテーマになるんだけど、「自分を出しつつ、周りをみつつ、でも我慢しない、言いたいことをいう、やりたいことをやる、だけどバランス取れてる」みたいな関係が本当に心地よかったのです。
ご一緒した方々に、ありがと!✖️100くらい伝えたいです^ ^
そんなことを考えていたら、
前回の同じ講座の時も、初めて気兼ねしない集団で遊べた✨って感動したのを思い出したんだよね。私はさ、未就学のときから捻れすぎてて、楽しく遊んだ記憶がなかったの。集団なんかとくに遊べなかったから、「子ども時代を取り戻せてる感じのする遊びってマジ楽しい!」って思ったなぁ…と。
で。
この時の体験の後にいろんなことに気づいたことも一緒に思い出しました。
小さいときに心ゆくまで遊んだり、友達と本気で喧嘩しなから、自分のイメージを具体化したり、やりたいことを成し遂げたり…といった遊びを広げて行った人と、そうでない人って、子育てで伝えられるものに差が出てると思いませんか?
私は、違いを明確だ感じます。
その一つとして、本気で自発的に遊んだ人って、同調圧力に流されないとか、周りの目を気にすぎない等々、上手に人の価値観と距離が取れてる気がします。
そんな感じで。親や支援する人が「遊びから学ぶ」「遊びから心を育てる」をやってる人とそうでない人の違いを見てしまいます。
なんだかわからん投稿してそうですが、「大人も遊ぼ!」と言いたいのだと思います。
大人が真剣に遊ぶことは、自分を再発見したり、自分のパターンに気づいたりすることで、子どもの育ちを見守る目を作っていけます。
また、なによりも、真剣に遊ぶことから、別のやりたいことや、楽しみたいことがでてきて、そこを深めてたり、別に広げたり…をすることって、学びの根っこになっていくからです。
知るって楽しい、試すって楽しい、比べるって楽しい。これをしたらどうなるかな?って推測して実験するのも楽しい✨
そこから…
ベースとなる情報がほしい、本を読もう、難解な数式が理解したい…などなどの高度な学習に繋がることも少なくないのですから。
どうして?
という、子どももたちみんなが持ってる不思議だな?と思う気持ちを遊びで上手に育ててあげたくないですか?
その遊びに参加して大丈夫なの?という周りを観察するところから始まって、この動きをしたいけどなんかできない…という真似をすることや、ダンスや歌声を通じてリズムを感じて遊んだり、そのリズムがさらなる身体の発達につながったり…
広い野原を走り回ることで観る力や空間認知を育てたり…というように、乳幼児の遊びは、その先にくるコミュニケーションや勉強の土台になっていく「遊びは学びの土台になる」という考え方に、私は深く共感しました。
視覚や知覚を遊びながら育むことで、自分の内面と深い会話をしながら、得られたものをさまざまな形で表現する力が育まれそうです。
私は、今回学んだことを、ブレインジム101や日々の活動の中で、子どもや、伸びしろいっぱいの大人に伝えていこうと思いました。
学ぶって楽しい✨です。
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