コミュニティのトリアージ
【最近思うこと】
自分の周りにも、世界にも、数えきれない"コミュニティ"というものがあり、人が集っている。
自分のすぐ近くにあるものも、世界の果てにあるものもあるけど、近くても関わりあっていなかったり、今なら世界の果てのコミュニティにだって、オンラインでリアルに参加することもできる。
コミュニティのトリアージ
でも、自分の時間は限られていて、一日24時間しかないので、そうするとコミュニティのトリアージをしないといけないように思う(トリアージは、災害などの医療現場で、治療の優先順位を決めることですが、ここでは優先順位を決めたり、捨てるものが出てくるという意味で使用しています)。
コミュニティのトリアージをすると、参加するコミュニティの優先順位が決められて、残念だが参加しない(捨てる)ところも出てくる。
そうすると、今度は、コミュニティの固定化が進む。いつも参加する会というものだったり、毎月出ているからでる集まりだったり、オンラインでのそれも含めて、固定化が進む。固定化が悪いわけではないが、それに参加している意味を「今」の自分に問う姿勢が大切なように思う。
最初に参加していた時には、正しいと思われるコミュニティのトリアージだったが、「今」は、自分に最適なのかという問いである。この時代、流動性が増加している昨今、それでもいいと思うし、それが普通なのだと思う。自分が成長したり、思考が変わったりしたら、今まで参加していたコミュニティや友達と合わないなあと感じることもおおありだ。
コミュニティを選ぶのは自分
大切なのは、そのコミュニティを選ぶのは、「自分」だということ。コミュニティのトリアージは、自分が決める、決められるということ。たとえ、家族というコミュニティや仕事場というコミュニティであったとしても、自分で決めることができると思う(そのコミュニティから離れることは、自他ともに痛みを覚えることもありますが)。
自分にとって、自分を成長させてくれるような、それでいて、心地よいコミュニティがあるのであれば、そこに加わってみるのもいい。罵詈雑言が飛び交うコミュニティがいいのであれば、それもまた一興(私はごめんだが)。人それぞれかと。ただ、そのコミュニティ以外を排除するようなことはしたくないし、してほしくない。多様性を認め、ただ、自分は入らないというだけ。
そんなことを思った今日。そして、所属するコミュニティにふさわしいかどうかを自分に問いかける今。
※写真は、先日の誕生日の妻からのプレゼントを朝目覚めて見つけ、幸せを感じたもの。と、飼い猫のサーが無防備に昼寝をしている姿を見て幸せを感じたもの。