お題目日記 Day34
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2021.10.11
今日は日蓮さんと御釈迦様と決意を固めたお題目だった。
【時間】
14分
【音】
♭ミ→ミ
※御釈迦様が見えた時に上がった。
【学んだこと】
○静岡の伊豆半島が見えて、伊豆半島の先にある二つの島が見えた。そこは修行する場所?なのか日蓮さんは1人でお題目?お経?を唱えて祈って修行してた。孤独だった。
○拘るところは拘っていいけど、最小限の拘りだけを持つ。譲れないところを決めて、あとは明け渡してみて欲しい。by日蓮さん
○己の過ちを許しなさいと言ってもらった。
○今、右の背中がここ数日軽く痛むのと小さい頃から背中に中々治りにくい湿疹があるのだけど、それは自分を許すと消えていく。
○御釈迦様も日蓮さんも、天にいる存在たちはみんなを見守っている。
○御釈迦様と同化しようとすると(意識でつながると)すごい身体が緩むし、口角が上がるし、心穏やかになるから、すごいなあと思った。
○波打ち際、岬は神様と人との境目。
【見えたこと】
①
日蓮さんが今日も待っていてくれた。
御礼を交わして、またついていく。
シーンが変わり、静岡県がみえた。
静岡の伊豆半島にフォーカスがあたり、
そこから南に少し行ったところに、米粒が縦長に2つ並んだような島が見えた。
※終わってからGoogleマップを確認してみた。
まずはじめに
伊豆半島が見えて
この黄色の丸で囲んだ島が映像で見えた。
だから、『本当に島があった...。』と思って私はびっくりしてた。
②
波が激しいところで、1人で修行する日蓮さんが見えた。
ひたすらに祈ってお題目?なのかお経なのか?波打ち際の岩の上で、天に向かって(実際は海の水平線を眺めて)ずっと唱えているんだよね。
険しそうな顔で、だけど一生懸命で。
いつも見ていた日蓮さんは人に囲まれているイメージがあったから、孤独感っていう言葉が聞こえてくるぐらい寂しかった。
だけど信じる力がとても強くて、日蓮さんは光っていてその光が天にしっかり届いていた。
波打ち際って人と神様の境なのかなあと
ふと、今書いてて思った。
③
今、私は、毎日毎日お題目唱えていて、1人で暮らしてて、仕事も1人で孤独感の中でやってるところがある。
日蓮さんの足元に及ばないということを承知で、重なる部分があると勝手に感じた。
もし仮に同じ状況だとしたら、私も祈ることは続けて、自分のできる精一杯のことは毎日やり続けようと思った。
④
日蓮さんとお話をするシーンになった。
『拘りは持ってていい。ただし最小限持っている荷物を少なくしなさい。』
というニュアンスで教えてくれた。
日蓮さんが自分の体験談として、色々と拘りが強くて苦労したこともあることを話してくれた。
だけど、拘り続けて良かったと誇りに思っていることも教えてくれてかっこよかった!
だから譲れないものは何なのかを明確にして、あとは明け渡すことをしてみると良いと教えてくれた。
⑤
私がこれまで出逢ってきた男性陣は、はちゃめちゃに拘りが強い。
師匠とも呼べるぐらいに、たくさんの自然界のことを始め、生きることを教えてくれた人たちの顔が浮かび、そしてその人たちが、拘りすぎて周りと上手くコミュニケーションをとれないシーンも回想で入る。
本当に人並外れたポテンシャルをそれぞれが持ってて、支持する人がたくさんいるのに、近くにいくと喧嘩になるということが何故かよくあった。
これはあくまで、私の内面を映し出してくれていたんだなあと思った。
私の拘りが強い一面を鏡で周りがやってくれていたことに感謝の氣持ちが湧いた。
そして、みんな男性だったから、これを私は女性という性を持ってどうやり抜こうかとも考えるきっかけになった。
女性だから、明け渡すことが特にきっかけになる。だからこそ譲れないところを確認して、明け渡す勇氣を持ってねっていうメッセージだったんだなあと思ったなあ。
貫くところと委ねるところと
自然な形でできるように
見ていきたいなあ〜!
⑥
日蓮さんと2人でお話してると御釈迦様が現れた。
日蓮さんと御釈迦さまは重なって同化した。
そうして『己の過ちを許しなさい。』とそう言ってくれた。
私は昨日しょうくんに、過去の話をしていたので、その部分のお話なのかなあと思った。
だからありがとうと祈った。
そして私の背中を2人とも撫でてくれて、背中の傷を癒すようにしてくれた。
私は自分の背中が、実はあまり好きじゃなくて。
昔からずっと消えない湿疹が残り続けている。
傷みたいで嫌だなあと思ってて。
そしてここ数日背中の右側がちょっと痛む。
過去に背中の右側が痛い時期があって、その時が、昨日しょうくんにお話していた時期と重なる。
私が人生で、本当に大変だった時。
あの時のこと、じっくり見て許してあげようと思ったなあ。
⑦
そうしてるうちに、
私も御釈迦様と重なり同化した。
その瞬間、現実の方で、窓からの太陽の暖かい陽射しが入ってきて、本当に暖かくなる。
御釈迦様の意識に触れると暖かくて勝手に身体が緩まって氣持ちいい、ということが最近何度もやってわかったこと。
そうして私も癒してもらいながら、ありがとうと祈っていた。
祈りながら御釈迦様と日蓮さんと意識の中で別れて、映像が止まる。
窓からの陽射しもその瞬間弱まった。
しばらく目を閉じて心地よさに私は浸っていた。
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後日談 2021.10.11 17:40
仕事終わりのしょうくんから電話が入る。
『めいちゃん、実はね、日蓮聖人と伊豆は切っても切り離せない関係なんだよ...!』
しょうくんが電話の向こうで興奮氣味にお伝えしてくれた。
しょうくんがお伝えしてくれたことを簡単に説明すると、
日蓮さんは、幕府と一悶着あったため、40歳で島流しに遭う。
この出来事の事を、伊豆法難というらしい。
島流しというのは、当時の人にとっては、死罪と同罪で重罪であった。
島流しに遭った日蓮さんは、俎板岩という所に置き去りにされて、1人でお題目を唱えていた。
そこに、地元の漁師の船守弥三郎(ふなもりやさぶろう)さんが通りかかり、日蓮さんを救った。
当時は罪人を助けたら、自分も罪人になるという厳しい規則があったが、船守さんはそれでも尚、日蓮聖人を助けた為、仏様の使いとして日蓮聖人を助けた。
助けて貰った後は、岩屋にこもって修行し、船守夫妻が食事を持って行ったりしてた。
そしてその岩屋がまだ残っている。
とのことだった。
ちなみに、私は日蓮聖人がどの様なご経験をされてきたのか、お恥ずかしながら全く知らない中で、昨日今日と立て続けに見えているので、自分自身に1番びっくりしてた。
日蓮聖人の命日が10/13でその日程に合わせて各地で御会式という祭祀が行われている。
もしかして日蓮聖人は、お祭りに合わせて、みんなに会いにきているのかなあと思った。
そう考えると、全国で沢山の御会式がある中で、1つひとつに顔を出し、何も知らない私のところにもご挨拶に来てくれるのだから、とても愛が深い方なんだなあと思い、感動した。
『島が見えたのは、なんだったんだろうね?』
しょうくんの疑問に、たしかに...と考え込む。
2人で、その島について、リサーチをかけた。
新島(にいじま)と神津島(こうづしま)。
調べてみると、2つの島のキーワードは
『流人』『縄文時代』だった。
そして神津島の方は公式サイトにこのような記載があった。
江戸時代には流刑の島として、当時の日蓮宗不受不施派の僧侶や、キリシタン棄教の要求を拒否した罪で流刑となった朝鮮貴族の娘『おたあジュリア』などが知られています。
(神津島観光ガイド様より引用させていただきました。リンクはコチラ)
『日蓮宗が関係してるんだ...』と2人で空いた口が塞がらなかった。
『私、行ってみる!』と直感が降りてきたので、予定を決めて、来週いくことにした。
ちなみに私にとって縄文時代は生きていく上でキーワードになっている。
私の生まれ故郷も縄文時代の遺跡が数多く残る土地で、母方祖父が縄文時代の遺跡に詳しかったり、古事記周辺の歴史や風土記のことを勉強していたからだ。
何があるのかはわからないけど、流れに委ねてみることを決めた。
※体感は個人の感想です♡
※こんなことがあるのか〜!っていう
フィクションの読み物として
お楽しみくださいませ♡
つづく