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05 死生活 ―22歳の試作― 【エッセイ】

 先に断っておきたいが、此れは悲観的な話ではなく、純粋に、死と生に魅入られた話。私は、死によって生を感じ、死を意識することによって生が彩られている。

 私は、理系の父と文系の母の間に次男として生まれた。その甲斐あってかなくてか兄の好きなものに触れ、自らの意識が向くものに手を伸ばし、ジャンルの境なく様々なものに興味を持つようになった。趣味のほんの一例だが野球にテニス、ボルダリング、バイクでのツーリングや旅行、美術鑑賞に読書ーー桜木紫乃や村上春樹、森見登美彦、伊藤整などーーといった私のアンテナが傍受した事物には、それが身に毒であろうと手を伸ばした。ただ、ダイビングだけはライセンスを取得したものの、訓練中から酸素ボンベを信用できず二度と関わらないと誓った。

 父は私が小学校1年の冬に亡くなった。しかし、私は父が遺してくれたものと母の大きな愛のおかげで、何不自由なく勉学に励みつつ、休みには友達との遊びに明け暮れ、趣味にも興じた。高校は母、大学は父が通った学校へ進学し、学生生活を謳歌した。父母が机に向かっていた同じ校舎で、同じ年齢の期間を過ごしたものの、両親とは異なる将来を見据えることとなった。色々な物に興味を持ったが生涯を掛けてしたいことは見付からず、ただ、私の目の前にはいつも死だけが映っており、その死が私の生きる力となっていた。

 その死は絶望的なものではなく、理想的な最期だと思うし、それを叶えるために私は生きている。父は息を引き取る直前、人工呼吸器を自らの細い手で外し、寄り添っていた兄と私に「ありがとう」と一言口を動かした。そよかぜにすら掻き消されそうな音に近い言葉は、父の生を現すかのように確かにそこにあり、15年以上が経った今でもその光景が瞼に焼き付いている。

 私は、父の最期のような死を迎えたい。世の中の海に溺れて、想いを言葉にすることなく命を終えるなどまっぴら御免なのだ。想像もつかない程の大変な苦労がありながらも私を育ててくれた母親はもちろん、私と関わってくれた全ての人や物、環境に感謝を伝えて死にたい。そんな死を彩るための生をこれからも全うしたい。


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