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一番お洒落して行きたいところは美術館

先日、久しぶりに美術館の展示を一人で見に行って、気づいたことがある。
ああ、私にとって一番お洒落をしたいところは美術館なのだ、と。
美しくしていかなければ行かない場所は美術館だ。

お洒落は高校生の時がピークだった。
制服がない学校で、周りもアーティスティックな人が集まり、当時BOOKOFFでELLEを買っては読んでいて、どちらかというと可愛いというよりシックなお洒落に興味があった。当時だからこそできる白黒のミニスカートに黒のタイツ、黒のパンプスというようなスタイルに、髪の毛もお洒落めなボブ。残念ながら当時の写真はほとんど残っていないけれど、一番お洒落に気合を入れていた時期だ。
そんな学校で仲良くなったのはほとんどアート系の人たち。
中でも、ある人との出会いは衝撃だった。堀の深い顔に、モデルみたいなすらっとしたスタイルの良さとファッションセンス、美術が好きにもかかわらず、軽音楽部。文化祭でB'zを熱唱する姿にかっこいい人だと思った。

そんな彼女と、何度か上野や六本木の美術展に行ったことがある。
いつも通りのすらっとした体型に似合うお洒落な服。実際どういう服だったか具体的には忘れているけれどーーおそらくベレー帽とか被っていた。そしてゴールドのピアス。
私は美術は好きだけれど、どちらかというと絵を観て消費、食べる方で、実際に自分で描くことにパッションがあるわけでもなく、特に注意を引く絵でなければ、さっさっと進んでいくタイプだ。一方で彼女は、一枚一枚の絵をじっくりと見ていた。そんなに時間をかけて一体何を見る必要があるのかというほどに。
その後の人生で、美術館に何人とも一緒に行ったことがあるけれど、一番覚えているのは彼女のその目だった。

そんな、「美を見抜く目」に応えようと、彼女と美術館に行く時は殊更にお洒落を頑張っていたように思う。どんな服の系統だったかは覚えていないけれど恐らくシックな服。この組み合わせで大丈夫だろうか、タイツも別のデニールの方がいいだろうか、などなど。顔は特にメイクを頑張った記憶はないから、いつも服について頑張っていた。特段、彼女が私のファッションについて言ったかは覚えていない。多分にあってるね〜とか、そんなことは言っていたかもしれない。

そして、この時よく行っていた国立西洋美術館でも、とてもお洒落な人達に出会った覚えがある。もう10年以上も前だけれどはっきり覚えているのは、黒系だけれど、どこかきらきらした服に身を包んだ70代と思しき女性達が美術館のラウンジスペースを歩いていた風景。恐らく伊勢丹か高島屋とかのデパートに売ってそうなワンピースと、お帽子。
美術館の場にふさわしい色で、でも、ああ、何年かかったらあんなセンスが手に入るんだ、と思わせるファッションだった。

大学に入ってすぐの頃、男友達と表参道を歩いていると、雑誌のスタッフから写真を撮っていいか、と2−3回か言われたことがある。けれども、進学したアート系ではない大学ではそこまでお洒落な人が集まるわけでもなく、外面ではなく内面の楽しさとユニクロで構成されたシンプルな服にハマって、その後は声がけがされることはなくなって行った。

社会人になってからは、最初の数年間は「都市という舞台性」の中で、デートや、イベントに行く時は、ある程度おしゃれをしていた。
けれども、コロナが一定年数あり、その後結婚もして安定。「他者の目」を気にするタイミングはどんどん減り、「女子会」で少し気合を入れるのみ。髪の毛を切るタイミングは、鬱陶しくなってきていることに写真を撮られて気づいたら。

そんな日々の中。
先日の一人で行った美術展では、原点に戻らせてもらった気がする。元々、女子会の予定があったのもあり、少しお洒落に気合を入れようと考えていたところに、夏だからこの色にしよう、あと美術展だからセンスが良いものにするか、とセレクトして行った。

そんな格好で、一人で美術館に入って気づく。ここは美しいものがある場所なのだから、自分も「美しく」ありたいと。「お洒落」でも「綺麗」でもなく、自身も美術品のように美しく、ありたいと。
あの時読んでいたELLEに挟まれていた、ブランドのモデルのように。

その帰りに、一点もののユニークで素敵な銀のピアスを買った。まるで美術品を集めるかのように、美術品を自分で身につけるかのように。また、「美しく」ありたいために。


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