『あかり。』(第2部 )#58 桜エビと生シラス・相米慎二監督の思い出譚
春が近づいている。
桜も咲いている。気がつくと見頃が終わりかけているのも毎年のことだ。
もうすぐ三月も終わる。
「桜、見るかぁ……」
と、監督がつぶやくのもこの頃だった。
じゃあ、監督と花見をしたことがあるのかといえば、ない。
夜の街を歩いていると街路の桜に目をやったり、スタジオのそばの桜の花びらが舞う中に歩いていたり、そんな感じだ。
一緒に、ちゃんと花見をしておけばよかったな……と毎年のように思う。
この時期の監督の好物といえば、桜エビと生シラスだろう。
ある日、「あいつの実家は静岡だろう?」と言い出した。
あいつとはBちゃんのことだ。
「確か、清水ですよ。美穂の松原が近いって言ってたこと聞いたことがあります」
「桜、あるんじゃないか?」
「あー……聞いてみます」
僕は、Bちゃんに連絡をした。
「ありますよ。今、時期ですから。行きます?」
Bちゃんは教員免許を持っている前の会社の同僚で、制作部で、気の付く人だ。僕と同年代だった。
「あるそうです」
監督は嬉しそうに、「じゃあ、行こう」と言った。
週末に、僕が運転する車で清水へ行った。
Bちゃんの両親が、歓待してくれた。
どれほどオーバーに監督のことを伝えたのか聞かなかったが、とてつもない偉い人をお迎えするような感じのご両親であった。
桜エビ、生シラスは足が早い。
だから、獲れたてを現地食べるのが一番美味い。
監督は丼いっぱいの桜エビや生シラスを頬張ってご機嫌だった。
とにかく、それまで僕はこんなに桜エビや生シラスを一度に食べたことがない。
美穂の松原をぶらぶら歩き、羽衣伝説の話をBちゃんから聞いた。
伝説がある故郷を持っているのが羨ましい。
監督と美穂の松原は、似合っていた。
今でも、Bちゃんの実家の青々とした畳の冷たさや、感触を思い出すときがある。
あれは楽しい小旅行だった。
小旅行の目的は少ない方がいい。
桜エビと生シラス、それだけだから思い出が鮮明になる。
私的な好みだが、僕は生より釜揚げ派である。