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『あかり。』第2部 #EX. もらっておきなさい・相米慎二監督の思い出譚
映画評論家の山根貞男さんが亡くなった。83歳だった。
山根貞男さんと正式にお会いしたのは一度だけであるが、楽しい酒席を共にしたことがある。
このことは、後日また書くことになると思うが、僕は山根さんにペンネームを頂いた。
相米監督に撮らせてもらったオムニバス映画の試写会か、もしかしたらマスコミ試写だったか。
そとき、僕は映画評論家なる人と初めて会った。
相米監督は、なんとか山根さんに朝日新聞の映画評に我々の映画を書いて欲しくて、一席設けることにしたのだ。
監督は自分のことでは、そんな面倒なことをしない人らしいのだが、僕らのためには軽やかに動いてくれた。
山根さんは、お会いすると、飾り気のない映画好きの叔父さんに思え、その場を盛り上げようと、僕らはいろんな話をしたのだけれど、その一つに、僕の名前のことがあった。
僕の名前『村本大志』というのは本名である。大仰な感じがして昔から好きではない。字画は全部で『22画』である。
最近行った店の姓名判断ができるバーテンに、「今のままでもいいけど、『一画』増やすともっといい」と言われた話をした。
「しかし、どこにも増やすところがないんですよ、『大』を『犬』にするわけにもいかないですしねえ……」などと、笑い話にしていたのだが……。
そこで、酩酊の山根さんは、
「いや、『天』にすればいいじゃないか。それで一画増やせよ。読み方は変えずにいればいい」と言い出した。
「『大きい志』より『天の志』のほうがいい、ねえ、相米さん」
相米監督はニンマリしながら、
「ムラモト君、もらっておきなさい」
「え……まじですか」
「おう」
「よし、今日から君は『村本天志』だ!」
山根さんは嬉しそうだ。
「じゃあ、ポスターとか、チラシも変えたほうがいいな。よし、変えられるものは今から全部変えよう!」
相米監督もノリノリであった。
そんなわけで、その日から僕は名前が変わり、翌日、新しい名刺を発注し、制作陣は映画に載せる記載を変えられるところは全て改変した。
ポスターやチラシやネットに名前が二種類混在しているのはそのためだった。
こんなにイージーに名前なんて変えていいものだろうか……。
しかし、山根貞男さんに命名してもらうのはありがたいことなので(多分)、その時は流れ的に断れるはずもなく、ありがたく頂戴することにした。
後日、山根さんは、我々の作品の映画評を朝日新聞に書いてくださった。
未熟な作品には過ぎる温かい文章であった。
その後、10年ほど、僕は頂いた名前で活動した。
しかし、今は本名に戻している。
山根さん、すいません。やっぱり『天の志』は、僕には、荷が重すぎました。
ご冥福をお祈りします。
天国でも、先に逝った映画監督たちと、映画談義に花を咲かせてくださいね。