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『あかり。』第2部 S#86 お引越しの脚本家たちとの鍋・相米慎二監督の思い出譚
あれはどういう流れだったか……。
その夜は映画「お引越し」の脚本家の二人、奥寺佐渡子さんと小比木聡さんと食事をすると監督が言った。
「最近儲かってるらしいから、ご馳走してくれるんだとよ」
監督は嬉しそうに言った。
「いいですねえ」と僕は答えた。だって、実にいい話ではないか。
すると、
「ムラモトくんも来いよ」
と監督が言い出した。
「え? 行けないですよ」
「いいじゃないか」
監督は譲らない。
お二人とは僕はお会いしたことはないし、監督にご馳走するというのに一人増えるのはおかしな話だ。負担になる。
何度も断ったのに、結局お供することになった。
お店……(どこだか失念している)座敷に入ると、二人は先に来ていて監督を迎えた。(すごくきちんとしている)
ますます身の置き所がない。
監督は「最近、オレについてるムラモトくんな」と実に簡単な紹介だけして、あとは知らん顔である。
酒も飲めないし、座持ちも悪い僕が、どう振る舞ったか、何を話したか、まるで記憶がないのだが、お二人は物静かでニコニコとしていて、とても感じがいい人だった。本当に悪いことをした。ご馳走様でした。
お二人にとっては映画デビューだと聞いた記憶もあるが、どうなんだろうか。もし、そうだったとしたら、とても幸せな脚本家デビュー作である。
若かりし日々に書いたものが、こうして現代のテクノロジーで見事に蘇り、再びスクリーンで上映されている……こんな幸せな映画は滅多にあるものじゃない。
よく、「映画は残るもの」だ、という表現があるが、僕は眉唾だと思っている。
実際、僕の撮った映画など、(大してヒットもしなかったせいもあるが)映画会社の倒産の憂き目に遭い、今や誰が権利を持っているのかもわからないし、見ることもできない。
映画は『残すもの』だ。
残された関係者が、その作品に十分な愛情と思い入れがあり、またその映画が残す価値のあるもので、さらには見たいと望む観客がいて……それだからこそ、安くもない修復料金をかけて美しく音響が素晴らしい<新しい衣>を纏うことができる。
『お引越し』も『夏の庭』も、後世に何としても残そうとする関係者の意思が、2025年に映画館で見られることに繋がっている。
奥寺さんや小比木さんが、どこかの劇場のスクリーンで、こっそりと若かりし頃に敢然と相米慎二監督と向き合った日々を懐かしく思い出し、そして微笑む姿を想像する。
とても胸が温かくなる。
いい映画は、やはり『残るもの』なのだ。