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『あかり。』 #18 夏の庭、冬の庭・相米慎二監督の思い出譚

この時期に本屋に入ると、夏の文庫フェアをやっている。

僕の書いた小説は文庫になるだろうか。きっとならないだろうな。そんなことを半ば自虐的になって考えながら、涼しい店内をぶらぶらする。

平積みされている文庫本コーナーの中に、相米慎二監督の映画『夏の庭』の原作である同名タイトルの本が、毎年並んでいる。
作者は、湯本香樹実さんだ。

とてもいい小説だ。(この人の書いた小説はどれも素晴らしい)

相米監督が、小説の執筆を彼女に勧めたと聞いたことがある。
そして、原作と小説の関係は、この作品にかぎって言えば、すごくいいのだ。

僕は、この映画『夏の庭』が大好きだ。コロナ禍にあって、上映会なんてむつかしいのかもしれないけど、全国の小学生に見てほしいなあといつも願っている。この映画にふさわしい観客たちは、『未来のおとな』だと思う。

不遜なことを承知で言わせていただければ、この映画のことが大好きだからこそ…ラストシーン近くの三國連太郎さんが死ぬシーンで、三國さんの腹が上下するところを合成で止めたい。マスクを切って、CGも使って、どこから見ても、ほんとうに死んだようにしたい。

子ども等の芝居を見ていれば、気にならないだろうと思うむきもあろうかと思うが、初見のとき、僕には老人が生き返ったように一瞬見えてしまった。

これもワンシーンワンカット長回しの弊害の一つかもしれない。
寄りの絵があれば
あるいは、子供達だけのショットがあればと考えてしまうのは、カットを割ることで監督に仕えていた僕の悪い癖なんだろう。

それと、大ラスで、井戸から蝶が舞い上がってくるシーンのファンタジー。この蝶のCGがいけない。いかにも…のCGで正直クオリティが高くない。

そこのクオリティが上がれば、映画の完成度はもっと上がるはずだ‥…そんなふうにいつも思う。
この二箇所を今でも直してほしいと思うけれど、僕はスタッフではないからそんな権利は1ミリもない。
監督は、そういうリアリティより、子役たちが到達した映画的なリアリティを選んだのだ。その
2点が放置されている答えが、それだ。

それに、死んでしまっては、完全版など作りようがないではないか。


夏が盛りになると、この映画を思い出し、見直してみようかなと思う。
包丁を研いで、スイカを切りたくなる。

シャクシャクと音を立てて、監督と並んでスイカを食べてみたいものだ。
今年はまだスイカを食べていない。



そして、季節は真冬に向かっていた。僕は今まで知らなかった鍋料理を監督とつつきながら、ぼんやりとしていた。
監督は、これからどうするのだろう…。いつまで一緒にいられるのだろう…。そんなことばかり考えた。

その夜連れて行ってもらった四谷・荒木町のあんこう鍋は、とてつもなく美味しかった。
味噌味ではなく、醤油味だ。小上がりにいると、監督と旧知の店主は勝手に美味いものを次々と出してくれる。


「キリのいいところで終わりにするか」
「そうですね」


僕たちは、鍋の残り汁を白飯にかけてサラサラと胃のなかに放り込む。
あれだけ食べておいて勘定はさほど高くないのであった。

のちに、友人を連れて個人的にその店に行ったら、倍ちかく取られた。
そのことを監督のマネージャーTさんに苦笑いして報告すると
「あそこのマスター、ひと見るのよ。村本くん、払えるって踏まれたんじゃないの?」
と笑われた。

実は、そんな店がいくつかある。中目黒の寿司屋、富ヶ谷のすっぽん屋、住吉のゲテモノ屋…。
そんなとき「まったく、監督はなんて役得な人なんだ」と、ため息をついてしまう。


年の瀬に向かうころ、急遽もう一本撮ることになった。
嬉しかったが、反面、いったん気持ちを切っていたので、どうしようか…と悩んだが、僕に選択肢があろうわけがない。監督が撮るのだ。

キャストは引き続き、ラサール石井さんと菊池桃子さんだった。新しい設定は、二人が老舗の洋食屋を切り盛りしていることだった。
毎日忙しいふたり。たまには温泉にいこうと言う妻。店を休めないと言う夫。
厨房と店内の切り返し芝居だ。
カットが自然と割れる! 

確か…12月の30日に撮影した。世間の人はもう休暇だ。しかし、我々はバタバタと働いていた。

家族を持たない監督にとって、年末年始は、あまり歓迎する時期ではない。みんなが仕事から日常に戻る時期、監督はひとりでいる。
誰かと飯を食う、が信条の監督にとって、ちょっと面倒な時期なのだ。
だからなのか、監督はやたらとみんなを誘った。

しかし、みんな予定がある。それぞれがそれぞれの暮らしに戻るタイミングなのだから。しかし、そんなことを気にしていたら、とうてい孤独とは長年向き合えないわけで、監督はまったく気にせず、「どこに行くのよ」「なに食うのよ」を連発していた。

カメラマンは再びT社のMさんに変わった。Mさんは酒好きなので、打ち合わせのたびに、ずいぶん付き合っていただいた。
そして、いつも僕たちが知らない間に支払いを済ませてくれていた。

Mさんが撮る絵はやさしい温もりがある。
普段から柔らかい人で、誰にでも気を遣うし、変なところが、彼の表現と地続きな人だった。

僕は、ほとんど家にはいなくて、監督と一緒にいたから、年末年始くらい…と思っていたのだが、もろくもそんな計画は崩れた。制作部を巻き込もうとしたのだけど、彼らも撮影準備でできなかった会社の大掃除や精算や他の諸々の雑務があって付き合ってもらえなかった。

キャストの二人は、2回目ということもあり多少リラックスしていた。切り返し芝居は、カメラ側にいる監督にとってブラインドになるのだけど、カメラ側に向ける顔と、振り向いてからの感情の切り替えについて、すごく熱心に演出していた。
菊池桃子さんは、変わらず「はい!はい!」と気持ちのいい返事を監督に返し、コメディエンヌたろうと奮闘していて、かわいらしかった。

のちに縁あって、菊池桃子さん・田畑智子さんの姉妹コンビのミツカン・追いがつおつゆのCMを僕は長年撮らせてもらった。
菊池さんのその頃から10年弱の人生の大きな変化を考えると、なんていうか感慨深くなる。
カメラマンは、もちろんT社のMさんにずっとお願いした。


そんなわけで、年末の撮影は無事に済んだ。
撮影が終わると、その夜は、広告代理店の若手営業部が気を利かせて、監督と僕に付き合ってくれた。
若手のひとりが、実家がスタジオのすぐ近くにあるというので、行くことになった。
彼の両親は、事故ですでに亡くなっていて、その家はだれも住んでいないと明るく言った。僕らはそんな状態の実家に入り込み、近所のスーパーで買い込んだ豪華な食材で二種類の鍋を作って、営業部の若手たちと共に宴会をした。彼なりの供養だったのかもしれない。

彼は台所に立ち、僕と二人で食材を切った。亡くなった母親の使っていた包丁を不器用に使って、牛すじ肉を細かく切っていた。

監督と出かけたことのある鍋屋の味を再現しようとして、まったくうまく作れなかったが、監督は「まあ、いいことにしよう」と言ってくれて、モリモリと食べた。

そういうところが、妙にやさしい人だった。


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