『あかり。』 #31 酸っぱい辛い粉とポタラ宮・相米慎二監督との思い出譚
ラサの街を数日、歩き回ったところでチベット飯にしか出会わない。慣れてはきたが監督の口には合わないようだった。
慣れることはできても美味くは感じない…このニュアンス、気分を言葉に置き換えるのは本当に難しい。
そんな時、町の外れに一軒の店を見つけた。コンクリの壁に[酢辛粉]とある。他にもいくつか書いてあったが、それがやけにドーンと達筆な漢字で書いてある。自慢料理なのだろう。
「食べてみますか?」
「おう、いいんじゃないか」
監督も僕も大抵のものは食べることができる。好き嫌いもない。ただ、美味いもの限定なのだ。不味いものをを食べ続ける免疫はない。
果たしてその料理は、太い熱々の春雨に、辛い肉味噌をたっぷり乗せ、青ネギを振りかけただけのものだった。店主がニコニコと出てきて、混ぜて食えとジェスチャーで示した。当然従う。
そしてズルズルとかき込む。これが、美味かった!
「アタリですね!」
「おう!」
監督の声も弾む。美味いものがないと僕らはどんどん気持ちが落ちてしまう。
「他のも試しますか?」
「そうだな」
壁に書いてあるメニューをいくつか頼んでみた。
どうやら漢族がやっている中華料理とチベット料理のミックスみたいな店なのだ。
蒸し餃子もいける。炒め物は微妙。スープはまあまあ。
つまり、安定して美味いのは[酸辛粉]だけなのである。
しかし、この[酸辛粉]なる料理は強烈に辛かった。
麺は太い春雨である。(稲庭うどんより太く、讃岐うどんより細い)色味はこんにゃくみたいな灰色をしていた。
それを茹で上げて、熱いまま丼に入れてある。中華山椒・豆板醤・唐辛子などで炒めた肉味噌がたっぷりかけられ、青ネギが多めに散らしてある。
汁なし坦々麺や炸醤麺のチベット版といったところか。
とにかく口の中が痺れるし、辛い。しかし、箸が止まらない。
汗だくになって食べると妙にスッキリしてくる。
(後にこれは四川料理とわかるのだが、しばらく我々はスーラーコと呼び毎日食した)
旅先で、食事がなんとなく合わない時に、頼りになる食べ物が見つかると、心身が安定する。そんなことはないだろうか。
トルコの羊の胃のスープ
パリの蕎麦粉のクレープ
ブラジルの豆の煮込み
メキシコ国境の照り焼きチキン
タイのチキンライス
などなど。
その時、我々を助けてくれたのがスーラーコこと酸辛粉であった。正しい読み方はいまだ知らない。
帰国して、妙にこの味が懐かしくなりずいぶん探したのだが、どうしても巡り会えなかった。
それが数年前に、隣町の小田急線・豪徳寺に専門店があることがわかって、勇んで自転車で乗りつけた。
なんでも店主はこの料理に惚れ込み、毎月のように四川に通い詰め、日本で専門店を出すまでに至ったそうだ。
独特の春雨は輸入が禁止されているとのことで、わざわざ同じものを国内の工場に特注している。
辛さも何段階か選べるし、店主はこの料理に愛情とこだわりを持っている。
それと、再現力がすごい。本場の味に遜色がない。美味い。
メニューはこれ[酸辛粉]しかないのが、また潔いではないか。
ここで食べた時、チベットや四川の街の風景が、というより旅の思い出そのものが一瞬蘇り、なんだか泣きそうになったくらいだ。
あえて店名は秘すが、味の冒険家たちにはなんとか探してもらって是非ご賞味いただきたい。
後日、我々が向かった『ポタラ宮』は、観光名所であり神聖な場所である。
ラサの中心に位置するチベット仏教の信仰の象徴だ。
見上げるとそびえ立つ白い要塞のようだ。
この建物は建造物としても歴史的価値が高いし、一度は登る(という表現になるが)ことをお勧めするスポットだ。
正しく認識しているか怪しいが、京都の清水寺と明治神宮の両面を併せ持つ場所(…違うか?)、とにかく神聖な場所であることは間違いない。
そして、ラサにいるだけで高地にいるのに、そこからまたポタラ宮の一番上まで上るのは、登山に登山を重ねるような行為であり、かなり肉体的にはきつい。
狭い曲がりくねった複雑な階段をゆっくり一歩ずつ踏みしめて上がる。
日本の城と同じ考え方で、敵(?)に襲われても一気呵成に攻め上がれないようになのか、階段は狭く、真っ直ぐではない。
高山病の癒えたばかりの僕らの息はすぐに切れてしまう。しかし、後方には上がってくる人がいるので歩みは止められない。これがきつい。自分のペースで歩けない。
途中、平場に出ると修行中の僧たちに出会う。みんな真面目にお唱えしている。僧たちの中にはまだ子どももいた。
どれくらいの時間をかけて登ったのか…てっぺん付近で五宝茶(だったか八宝茶)を飲んだ。これは漢方のお茶で生薬が入っている。
蓋で押さえながらすすって飲むのだが、このお茶、慣れるまでは物理的にも味的にも、相当飲みにくい。
これが相米監督のお気に入りであった。
元々、お茶好きの人であったが、中国・チベットの旅を通して、いつも以上にお茶は飲みまくっていた。酒が飲めないのだから仕方ないのだが。
ポタラ宮の頂上は本当に清々しい空気に満ちていた。
ヤクバターの匂いも気にならないほどだ。
青く澄んだ空に手が届きそうで、泣けるほど美しいのだ。
「いいところですねぇ」
「いいなあ」
監督はお茶を飲みながら満足そうだ。
しかし、しばらくすると顔が曇った。
中国軍の軍事演習が始まったのだ。ポタラ宮の前はかなり広い広場になっている。
そこで相当な数の中国軍人たちが行進みたいな威嚇を目的とした演習が始まったのだ。
チベットを実行支配しているのは自分たちだと言いたいのだろう。
明治神宮や伊勢神宮で同じことが行われたら、どうか?
人にはやってはいけないことがある。
監督は睨むように、あるいはすごく冷めた目で、その演習を見ていた。
そして、「そろそろ降りるとするか」と、僕に言った。
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