#70 『あかり。』第2部 相米慎二監督監督の思い出譚・コンテ全部書いとけよ
監督が僕に言った。
「ムラモトくん、コンテ全部書いとけよ」
「あ、はい」
僕はうなずいた。
台本に線を引き、カット割りをあらかじめ決めておくことをなんて言うんだっけ……あ、割り本。
ドラマや映画の場合、こちらのほうが日本だと一般的だと思う。
CMの場合、脚本がなく絵コンテだけである。
SFX系の作品だと丁寧に絵コンテを作り(=ストーリーボード)どこを実写で撮り、どこをアニメやCGにするか、あとでどう合成するかなど綿密に打ち合わせするが、そういうのがなければわざわざ絵コンテは書かないし、書いてもいわゆるメモ書き的な、それを基準にするほどの絵のクオリティが求められないものでいい。撮るサイズと段取りがわかればいいのだ。
しかし、監督が僕にミッションとして与えたのは、普段のCMを撮るように全て絵コンテ化しなさい、だった。
請け負ったものの、30分以上のカット割りを全て絵コンテにするのって、結構な手間暇がかかるもの。
まず、脚本を読み込み、割り本を作り、そこから映像のイメージを具体的に書く。そのコンテが一人歩きできるようなレベルにするためには清書もしなくてはいけない。
僕は美大出身ではないので、絵が得意なわけではない。必要に迫られ練習して練習して、なんとか人様に見せられるレベルになったクラスだ。時間がかかる。
その作業はやっていて、楽しくもあり大変でもあり……というのが実感だ。
とりあえず、分析と整理、頭でイメージを固め、芝居を想像し、コンテにする。やっと出来上がったものは分厚い紙束になった。
では、苦労して書いたそれが撮影にものすごく役に立ったのか……といえば、実はそうでもなかった。
俳優は自分の思った通りには動かないし、カメラだってそうだ。
やっているうちにアメーバみたいに変化する。コンテにこだわっていては終わらないし、目の前で起きていることを撮るほうがいい。
終わってみて思ったのは、コンテに縛られてはいけない、ということ。
つまり監督が教えてくれたのは、そういう当たり前のことだった。
遠回りに導いてくれたのだった。
じゃあコンテを描いたのがまったく無駄だったのか?
それもまた違う。
なんか不思議な手応えだった。
コンテからいかに遠く離れるか。頭で考えたことより、大切にしなくちゃいけないことが山ほどある……。
逆説的だが、よく欧米の映画のストーリーボード集なんか見ていると、羨ましいなあと思う。絵コンテを時間かけて作り、(専門のスタッフがいる)それを実現するためにお金も時間もかけて、じっくり向き合う。
それでないと意味がない。
僕の絵コンテなんて人に見せるものじゃないなあ……押し入れにあるかどうかわからないけど、あの時のコンテの束、焚き火をするならいい薪になりそうな気がする。無駄……という燃料はけっこういい火種になると思うのだ。
「ムラモトくん、全部コンテ書けよ」
僕を見て、案外真面目な顔で監督は言った。
あの時の横顔も口調もまだ覚えている。
監督の教えてくれたことはたくさんあるけど、こんなことも思い出されるのだ。