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『あかり。』 #27 チベット紀行的な何か。まずは北京・相米慎二監督の思い出譚

相米慎二監督は成田空港に大きめのリュックを背負い、赤のタータンチェックのシャツにベージュのコーデュロイを身につけて現れた。足元はさすがに下駄ではなかった。禿げた頭には帽子がちょこんと乗っていた。小津的な帽子だ。軽装である。
一方、僕は大きなスーツケースを引きずっていた。助手の性で荷物をあれこれ詰め込んでいる。

飛行機はまず中国の北京に飛ぶ。
そこからチベットのラサに入ることになっていた。
中国大陸を改めて地図で見た。とんでもなく広い。そして、チベットの占める面積が想像以上に大きいことに気づく。
チベットはネパールとインドに隣接している広大なエリアだ。

監督も僕も初めての中国だった。


北京の街は都会である。大都市だ。
街の表通りはとてもキレイで、まるで青山通りのようである。
宿のそばにベネトンのショップがあって、セールでもないのに若い人たちが群がっていたのがおかしかった。

しかし、一本路地を入ると、そこは(実際に見たことはないが)戦前の東京…のような怪しさがあった。日が暮れると「なんだかここで拉致されたらおしまいだな」という恐怖感がある。朽ち果てかけた古い建物の壁には『スパイを見かけたら通報せよ』という意味のポスターがところどころに貼られている。

表通りの近代的な華やかさとコントラストを成す風景が、得も言われぬ違和感をたっぷりと醸し出している。
人間も表通りを歩いている人たちと、明らかに違う。つまり人々に相当な貧富の差がある。
あんまりうろつかないように…と言ったツアー主催者の言葉が身に迫るが、路地裏を歩かない旅など旅ではない。

そんな場所を監督と僕は散歩していた。まずはその土地に慣れるように歩く、監督はいつもそうだ。


「なんか変に不気味ですね」
「ああ」
「不自然というか」
「まあな」

監督は咥えタバコで歩いている。
ちなみに表通りを咥えタバコで歩き、その辺に捨てようものなら、それだけを一日中路上に座り込みチェックしているおばちゃん(そういう仕事なんだろう)が怒鳴り散らし、すごい剣幕で罰金を取られる。

僕たちは、路地裏をあてもなく歩いた。あてもなく歩く、というのが、かえって違和感になるのか、地元の人たちに不審者を見るような目つきでジロジロ見る。曖昧なジャパニーズ・スマイルは通用しない。無駄に緊張する散歩になった。
中国映画で見る風景が、目の前にある。人々の生活が垣間見れた散歩だった。
ここでカメラとか出して撮っていると、通報ものかもな…と感じて、写真撮影は控えた。

僕と監督は小腹を満たすために、一軒の中華料理屋に入った。日本で言うところの町中華みたいなお店だ。壁のお品書きは達筆すぎて読みづらい。それに消えかかっていた。紙に『麺』と書いて見せたら、ラーメンふうの丼が出てきた。

期待していたものとはまるで違ったが、それなりに美味しい。それに店内の客が我々をじっと見つめていた。ここは観光客が来る店ではないのだ。当然のように、僕たちはラーメンふうを平げ、金をサラッと払った。日本円にすると数十円だった。出るときには客たちがニヤニヤしていた。

監督は空港で僕に小さな巾着袋を渡してくれていた。「これで払っとけな」と言った。それなりの金額が入っていた。旅先でかかる金はこれで賄えという配慮だった。僕はその中にとりあえず10万円分くらいの中国元を足した。まさか全部お世話になるわけにもいかない。

その晩は、ツアー客と現地の方々との懇親会が催された。日中友好。ツアーの主催者は六十代半ばくらいの男性で、人形劇団を運営している。長年、中国に度々訪れ公演旅行をしているとのことだった。中国にそれなりの太いパイプがあるとの触れ込みで、左翼らしい。穏やかで太った優しそうな方であった。通常のツアーより、踏み込んだ旅ができると聞いていた。確かに、この広い中国やチベットをガイドなしに初見で歩き回るのは、よほどの時間をかけない限り無理だろう。とにかく、すべてが大きく、広い。

懇親会は宴会になり、賑やかに中国語と日本語が混じり合い雰囲気がよかった。やがて、主催者が突然、監督にスピーチを求めた。監督はこういうのは場数を踏んでいるので、乞われれば受ける。日本語で冗談まじりに中国を称え、色々自分の目で見て回るのだというようなことや、美味いものや美味い酒を楽しみにしていると言った。それを誰かが中国語に通訳して、会場は笑い声に包まれた。そこはホテルにある立派な飯店で料理もフルコース。とても美味しかった。日本で食べる中華料理とは、どこか違うのだ。北京だから淡い系の色味の料理だ(特に薄味というわけではない)。

やがて、スピーチを終えた監督の元に、中国人が次々とやってきて白酒(パイチュウ)を注いだ。白酒はコーリャンを原料とした強い酒で、アルコール度数は60度前後と言われている。

その酒を小さなグラスに並々と注がれては、飲み干すを繰り返しているうちに監督はフラフラになっていった。僕はほとんど酒が飲めないので、役には立たないし、注がれているのは監督だから、飲み干さないわけにはいかないのだった。監督業は、大変である。しかし、そのおかげで宴は和やかに、また友好的な雰囲気で終えられた。

相米慎二監督作品が、中国で上映されているのか、僕は知らない。知らないが、彼らが見たらどう思うのか、とても興味はある。映画は国境を軽々と超える。




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