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英語が不要な社会をどう生きようか
ゆうです。
最近、英語不要論を耳にする機会が続けて起こりました。
ひとつは、大学院生の忘年会(?)でのことでした。
その会には人文社会科学系の院生(年齢は25~35)が集まっていました。
年長の院生が
「最近英語使わなくなったなあ」
と言ったのが始まりで、
「みなさん、どうやって論文書いてますか?」
という、危険な話題になったのです。
20代の男子がボソッと
「日本語で書いて、AIに英訳させてますね」
と発言すると、場が冷やかな笑いに包まれました。
「それ、かえって手間じゃないか?」
「いや、最初から英語で書くほうがたいへんです」
「AIの英訳を見直すと、ほとんど書き直すことにならない?」
「でも、自分で書いた英語よりずっとよくできていますよ(笑)」
人文社会科学系の論文というのは、日本語で書いて英訳する派と、最初から英語で書く派に分かれるんですよ。
機械翻訳の精度が低かった時代、両者に大きな違いはなかったそうです。
日本語で書く派も、基本的に自力で英訳しようとします。難しい単語をググるくらいで。
一方、英語で書く派だって、思いつかない英単語をググりながら書いてたりするので、やってることはあまり変わらないわけです。
ところが、AIによって機械翻訳のクオリティが飛躍的に高まってくると、日本語の全文を丸ごとAIに英訳させちゃう人が出てくる。
最近のAI翻訳は、専門用語とか学術論文頻出用語なんかも学習してるから、自動翻訳結果にほとんど違和感がないんです。
そりゃ英語で書く派は減るよねー。
もうひとつの機会は昨晩。バイト先の居酒屋で常連のお客さんと話していたときのこと。
その常連さんは岩本さんといって、複数企業の契約社員として翻訳のお仕事をされている50代女性です。
「普通の会社員は英語力が要らなくなってるかもね」
と岩本さんは言いました。
彼女が契約している会社の一つは日系の部品メーカーで、海外とのやりとりはかなり多いそうです。
といっても、メールでのやりとりが大半で、海外の取引相手と対面や電話で話す機会はほとんどない。社員は、取引先や顧客からの英語メールをAI翻訳で日本語にし、日本語で書いた文章をAI翻訳で英語にして返信する。
英語を話す必要がないどころか、英語を書く必要も読む必要もないそう。
それじゃあ翻訳のお仕事は・・・?
思わず訊いてしまいました。
「岩本さんのお仕事に影響しないんですか?」
「LOIとかMemorandumの翻訳は私のとこに依頼がくるのよ」
「正式な文書の翻訳にはAIを使わないってことですか?」
「使ったとしても細かいチェックは必要になるからね。だったら私が翻訳するほうがてっとり早い(笑)」
「岩本さんは、AIを使ったりするんですか?」
「ゆうちゃん・・・(苦笑)」
「あ、使うわけないですよね。アホな質問でした(汗)」
「ううん。いい質問だよ。じつは、使ってもいいと思ってる。ただ、私は使わない」
「・・・・・・」
「なんで?って顔だね(笑)なんでだと思う?」
「プロとしてのプライドみたいなものですか?」
「ふふっ。それもなくはないけど、もっと切実なこと」
「切実・・・うーん、わかりません」
「私は翻訳の仕事が好きだからだよ」
あ。
なんだろう。
涙が出てきた。
あたし、なにやってんだろ。
「おいおい、ゆうちゃん。泣くとこじゃないでしょ」
「すいません」
「飲もうよ^^」
それから、岩本さんといろんな話をしました。
岩本さんは言いました。
「AIのおかげで英語力が要らなくなると、英語ができる人は減るかもね。私みたいな人材は稀少性が上がってプライスも上がるかな(笑)」
英語が不要な社会になると、英語ができる人の価値が上がる?
英語がまったくできない人と、すごくできる人との二極化が起こるのかもしれない。
そのとき「英語が中途半端にできる人」は最も割に合わないのでは?
げっ、それあたしじゃん。
自分はどっちの極に行こうか、と考えさせられた聖夜でした。