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Perfect Daysの平山という男

『Perfect Days』(Wim Wenders監督)ようやく観ることができました。
もうどこも上映してないのかなぁ、と半ばあきらめていたのですが、有楽町の映画館でやってました。

地味で淡々とした、私好みの映画でした。
1回観ただけでは解釈が難しいですね。
本稿では、あまり深掘りせずに率直な感想を書くことにします。
観た方・観てない方を問わず、なんとなく伝わればいいかなと思いつつ。

まず、前半きつかったです。
柄本時生演じる若者にイラッときて、それだけで席を立つ理由になりそうでした。
しかも、主人公(役所広司)の日々のルーティンをこれでもかと言わんばかりに繰り返し見せられます。
ハルヒのエンドレスエイトか!
って思ったよね。

そこまでされれば、たいていの観客は気づくわけですよ。
ああ、この「平山」という人は、今を生きてるんだろうな、と。
今その時だけに集中しているから、平山の頭には過去も未来もない。
過去も未来もないから、後悔も不安もない。
後悔も不安もないから、完璧に平穏で幸福感に満ちた日々を送れるんだろうな。本と音楽と自然と酒。なるほど Perfect Daysだわ。
それが言いたいだけならここで終わってもよかったんですが。
すでにタイトル回収してるし。

さすがにそれだけでは、もうこのドイツ人に映画を撮らせるなと言われそうなので、ちょっとした出来事は起こります。
家出してきた姪(=平山の妹の子)が突然平山を訪ねてきます。
この伯父と姪というモチーフは流行っているのでしょうか。
最近観た『ドライブ・マイ・カー』も『わたしの叔父さん』もそんなお話でしたよ。むしろ古典的なモチーフなのかもしれませんね。

もうひとつの出来事は、三浦友和演じる同年配のオッサンとの邂逅。
三浦友和っていい役者さんですねぇ。ただの百恵の旦那ではないですよ。
この映画では、石川さゆりの元旦那という役で、出番は短いのですが、重要な場面でさすがの存在感でした。

そんなわけで、毎日毎日同じルーティンの繰り返しに見える平山の Perfect Days だけれど、時折いつもと違う出来事に出くわし、それが平山の単調な日々にささやかなアクセントを添えている。
平山の Perfect Days ってますますパーフェクトじゃん、と感じたわけです。

そんなふうに心温まるハッピーエンドで終わるのかな、と思いきや・・・

全然違ってましたからー!


ラストシーンにやられました。
いつものように仕事場に向かって首都高を走らせる平山の表情の変化、変化、また変化。
どういうことなの?って私は心をかき乱されました。

勘のいい観客は、平山の心情をとっくに察していて、こうなることを読んでいたのかもしれない。
でも私は、まったくわかっていませんでした。
どんでん返しを食らった気分でした。

で、終わってからようやく気づきました。
2つの出来事が平山に与えたもの。
それは、「今を生きる」型が崩れた瞬間だったんじゃないか。
妹と再会したことで「過去」とリ・コネクトしてしまった。
余命わずかなオッサンとコネクトしたことで「未来」を想像してしまった。

この世界は、ほんとはたくさんの世界がある。
つながっているようにみえても、つながっていない世界がある。

平山という男

つながっているようでつながっていないものの代表が、妹と父親を含む、むかし飛び出した家なのでしょう。
かたや、つながっていないようでつながっているのは、神社でお昼を食べる OLであり、ヘンな踊りを見せる浮浪者であり、偶然出会って影踏みをしたオッサン(友和)なのだと思いました。


あのあと。
平山は、仕事場に着いたらいつもの顔に戻って、いつもどおり黙々と仕事をするのでしょう。
車中で見せたあの表情は、平山の心の奥底にあるものです。
平山は、”完璧な日々” を生きる幸せな男です。
悔恨に満ちた過去と恐怖に満ちた未来を全力で封殺しているのです。

これは残酷な映画です。

(再考)