世代論の不毛
年齢の違いと世代の違いについて考えていました。
2つを分けて考えられないかと。
例えば、現在50代の人と 30代の人がいるとします。
両者には 20歳の年齢差からくる感覚の違いがあります。
と同時に、生まれてきた時代が 20年違うので、世代の違いというやつもありそうです。
この2つを混同することなく、それぞれに分けて吟味できるようにしたいと思ったのです。
私が 30代前半の頃に書いていたものを読み返してみました。
あまり面白くありませんでした。
書かれている主旨は概ね賛同できるものでしたが、センスに残念なものを感じました。全体の構成、言葉の選び方、そして何よりもユーモアのセンスがイマイチなのです。
当時の私はこんなのを「面白い」と思って書いていたのか(苦笑)
どちらも「私」ですから、「世代」(=団塊ジュニア)は当然同じです。
しかし「年齢」では、現在の私とは 20歳の差があります。
50代の私が 30代の私に、「おまえの書いてるものは面白くない」とダメ出ししているわけです。
次に、30代の私が書いたものと、現在 30代の人が書いたものを比較してみました。
これがよく似ているのです。
もちろん、別の人間が書いたものなので、単純比較はできません。
しかし、書き手のスタンスというか、狙いのようなものに共通する姿勢を感じました。
20年前の30代(=団塊ジュニア)と、現在の30代(=ゆとり世代)。
年齢は同じですが、世代(=生まれた時代)が違います。
でも、生きる姿勢のようなものは意外と違わないのではないか。
つまり、現在50代の人と 30代の人の違いは、世代の違いではなく、年齢の違いからくるものが大きいということです。
年齢の違いは、想像力によって克服することができます。50代の人もかつては 30代だったのだから、当時の自分の姿勢や気分を思い起こせばいい。
日本では、世代間の分断と対立が社会問題化しているようですが。
ここにも世代と年齢の混同という誤謬が見られます。
世代の違いはどうしようもありません。1970年代生まれの人に、1990年代生まれになれ、と言ってもムリです。
しかし、大きいのは世代の違いではなく、年齢の違いなんですよ。そして、年齢の違いは想像力で歩み寄れるのです。
世代が違うからといって、対話をあきらめてしまってはいけない。
私の 20代・30代の頃を思い出してみました。
まず、お金が欲しかったよね。
こんだけ頑張って働いて、私の手取りはなんでこんなに少ないの?って。
買いたいものはいっぱいあったし、毎月出ていく家賃を苦々しく感じながら、もっと家賃の高いところに住みたいなんて矛盾したことを考えてた。
憎悪の対象はオッサンらだった。
会社に来て、何もせず、椅子にふんぞり返ってるだけで、私の何倍もの給料を受け取ってのうのうと生きている 40代・50代の男どもが許せなかった。
少し長く生きてるというだけで、エラそうに振る舞い、上から命令してくるのが屈辱的だった。昔の武勇伝を聞かされるのもウンザリした。
現在50代の私が 20年前を思い出して 30代の気分を想像することは、比較的容易です。
かたや、現在30代の人が 20年後=50代の自分を想像するのは難しいかもしれませんが、ぜひやってみてほしい。
ヒントを挙げておきます。
✅性格や価値観は今とほとんど変わらない
✅収入は安定するが欲しいものはあまりない
✅キャリアのゴールは見えている
✅最も楽しい時間は終わっている
ある映画で、市役所の児童相談窓口を「未来のおとな課」、高齢者相談窓口を「昔はこども課」とネーミングしているシーンがありました。
誰だって歳をとり大人になるし、誰もがはじめは子供だった。
世代間の対立?そんなものは選挙のイシューに利用されたり、メディアが煽っているだけです。
私は10代にもなれるし、70代にもなれる気がします。
どの年代にも特筆すべき何かがあるものです。
それらを全部楽しみたいと思います。
(追記)
などと書きつつ、世代論を語ったこともありましたかな。