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死について明るく考えてみたら、やっぱり明るい結論にしかならなかった

死について考えだすと怖くてどうしようもなくなる。
そんなことが、昔はありました。

物理的に自分の体がなくなる、という現象はまあ理解できたとしましょう。
でも自分の精神というか、今こうして死について考えてる自分が存在しないってどういう状態なのよ?とか考え始めると、もうムリ。
ムンクじゃなくても叫びたくなるっての。

鉄郎もそんなことを考えたのでしょうか。
いやいや、10歳の男の子がそんなこと考えねーよ。
機械の体を求めてあんなに長旅しときながら、最後は「やっぱ要らね」て、どーゆーことなんだよ!
メーテルの時間返せよ!(👈物語を理解してない)

やっぱり、死なんてやつは、暗く考えてはいけませんね。
「考えない」という態度もありですが、私のような「趣味: 考えること」みたいな人間に「考えるな」と言うことは、哀川翔に「カブトムシ飼うな!」って言うようなもんでしょ?

それって、マグロに「泳ぐな!」って言うようなもの。

「死んでまうわ!!」
って話ですよ。(哀川翔は死なねーだろ)

まあそんなわけで、死について、ソンブレロをかぶってテキーラを呑んで、ドンタコスしながら考えてみました。

ドンタコスったらドンタコス! 2

死を恐れるのは人間だけ

とりあえずダーウィンの言ったことを信用するなら、ヒトはサルから進化したそうなんですよ。

そう聞いて、「へ~そうだったのかあ」て納得する人います?

私はまったく納得できませんね。
だって全然違うじゃないですか。顔も、性格も、価値観も。
そんなこと言われたら、ローマ教会じゃなくたって反発したくなりますって。
じつは、意外と知られてないみたいですが、ダーウィンの進化論って最近は否定されつつあるらしいんです。

やっぱ使えねーな!19世紀の学者先生はよ!

そこで、せめて20世紀の学者先生のお説を拝聴したいものだ、と思ったとき、ある人のことを思い出しました。

学生のとき、文化人類学の教授におかしな人がいましてね。
その先生はアフリカのサン族(いわゆるブッシュマン)の研究をされていて、当時、「ブッシュマンの言語が話せる唯一の日本人」と言われていました。
そういう唯一無二の先生なんですが、講義を聴きに来ている学生はまばら。
いっそ、ブッシュマン語で講義やれば、もう少し学生来たんじゃないか?

そんなブッシュマン教授が言ってました。

死を恐れるのは人間だけです。
あらゆる生き物の中で人間だけが、時間と空間を超越して思考することができます。
時間について言えば、サルには「明日」という概念がありません。
もちろん「来年」もないし、「10年後」もない。
まして、いつか自分に死が訪れるなどとは考えたこともない。だから、死を恐れる必要がない、いや、恐れることが「できない」と言うべきでしょう。
つまり、死を恐れるのは人間だけに与えられた「特権」なのです。

ブッシュマンの研究者が言うと説得力がありますよね。
てことは、サルには、過去も未来もない。「今」しかない、ということですね。
『いまを生きる』(ロビン・ウィリアムズ)とか『今そこにある危機』(ハリソン・フォード)って、そういうお話だったのか!(👈たぶん違う)

東進の林先生が言ってた「今でしょ!」はそういう意味か!(それも違う)

そのとき、ひとりの学生が発言しました。
「そんな特権、要りません(笑)」

講義室が学生たちの冷やかな笑いに包まれます。
少し間をおいて、教授は静かに言いました。
「では、サルになりますか?」

死ぬのが怖いなら、仕事, 結婚, 宗教の三択

ブッシュマン教授の話は続きます。

死ぬのが怖かったら、死を忘れるのが一番です。
死を忘れる最も効率的な方法は、仕事に没頭することでしょう。

この人は、ブッシュマンの研究に没頭することで死を忘れているのかね。
たしかに、アフリカの奥地でサン族と一緒に狩猟生活をしていれば、死について考える余裕なんかないだろうなあ。

死を忘れるもうひとつの方法は、結婚することです。
結婚は、とにかく疲れるし、忙しいし、消耗します。
死を忘れる効果は、仕事よりも高いでしょう。
ただ、効果は高くても、失うものが多すぎて効率は悪いですから、あまりお勧めしません。

当時ブッシュマン教授が結婚していたかどうかは知りません。
ただ、彼の言葉から推察すると、一度結婚して、奥様といろいろあった末に別れたのかもしれませんね。サン族の調査のためにしょっちゅうアフリカに飛んでただろうし、そのたびに不気味なおみやげ買ってきそうだし、家庭内にもいちいち文化人類学的考察を持ち込んでめんどくさかっただろうし。
奥様のご心痛、お察しします。(すごく勝手に)

仕事にも没頭しない。結婚もしない。
そういう人は、信仰にすがるしかありません。
宗教とは、人間が死の恐怖を克服することに成功した、人類史上最も偉大な発明です。そんな偉大な発明を利用しない手はない。

そこで、また先ほどの学生が質問しました。
「ボクには仕事も結婚も宗教もありません。どうしたらいいですか?」

教授「だから、大学に入ったんでしょう」

そうだった・・・
イマドキの大学をよく知らないけど、当時の大学ってそういう場所でした。
思想を語るマッドな教授がいて、自分を探す青臭い学生がいた。

私は、これといって信仰をもたない普通の日本人なんですが。
その昔、尊大な大伯父(父の伯父)がおりましてね、その息子夫婦は敬虔なクリスチャンでした。大伯父は昔気質の人でして、実の息子とその奥さんを「ヤソ」と呼んで遠ざけていました。
子供だった私は「ヤソ」の意味がわからなかったけど、それが多分に軽蔑を含んだ言葉であることは、子供ながらに感じていました。

その大伯父がガンにおかされ、余命宣告を受け、ターミナルケアの施設に入ってから、キリスト教の洗礼を受けたという話を聞きました。
明治生まれの男が、可愛い息子を邪教の徒にとられ、勘当同然にしていたのに、死を悟ったとき最後にすがったのは邪教の神だったのです。

恐るべし、ジーザス。

死というシステムはうまくできている

祖母や祖父と同居していた人にはわかると思うのですが、いつ死んでもおかしくない高齢の人たちって、死をごく自然に受け入れているところがありませんか?

私の家には祖母がおりました。
生前、祖母はよく言ってました。
「わしゃあいつ死んでもええで。はようおむかえ来んかのう」

え、おばあちゃん、死ぬのこわないん?

もうね、その一点だけでおばあちゃんのこと尊敬してたよね。
だっておばあちゃん、仕事も結婚も宗教もなしで死を恐れてないんだもん。

これだけ科学の発展した時代にあっても、生命の科学にはまだ解明されていない謎が多いんだそうです。
今回コロナのことがあって、そもそもウイルスって何だろう?って考えた人けっこういるんじゃないでしょうか?
「ウイルス(virus)」のPVが跳ね上がって、ウィキペディアもびっくりしてると思うんですよね。

知ってました? ウイルスって死なないんだって。
あらゆる生物のなかで唯一死なないのがウイルス。
そう言うと、生物学にうるさい人は「ウイルスは生物ではなく、タンパク質でできたDNAまたはRNAなのです」とか言うかもしれない。
でも、人間の体だってタンパク質(プロテイン)でできてるんだし、遺伝子持ってるってことは立派な生物じゃん、と私は思います。

「唯一死なない生物」と聞いて、「私もウイルスに生まれたかった」って思う人どれくらいいるかな?
10%もいない、と信じたいですね。
ウイルスに生まれるくらいなら、ヒトに生まれて仕事中毒になって結婚してキリストの洗礼受けるほうがマシですわ。(3つ全部やらんでもいいよ)

やっぱり、死なない生物になんて誰もなりたくないってことなんですよ。
鉄郎は正しかったんです。(👈遅せ―よ気づくの)

未だ解明されてないとかいう生命のシステム。
死もそのシステムの一部ですよね。
で、死というシステムはよくできてるな、と思うんです。
まず、「死」という終わりがあること自体が秀逸なアイデアだったと思う。
もうひとつすごいなと思うのは、最後は「いつ死んでもいい」って思えるようにプログラムされている(らしい)ところ。

「不老不死」なんてことを考える、中国の皇帝みたいな輩はやっぱりアタマがイカれちゃってるんですよ。
生命のシステムに反しているわけですから。
ウイルスなのかもしれませんね。(やっぱり・・・?)

私が死にたくない理由

これ言うとけっこう引かれるんですけど、思いきって言いますね。

私、もうやりたいことないんだよね。

5回結婚してるからとかじゃないですよ。(最近自分からこのネタふってるなあ)
ただ、今まで好きなように生きてきたし、やりたいと思ってたことはほぼやり尽くした感があるし、もともと持ってる欲があんまり大きくないってのもあるでしょうね。

でも、「いつ死んでもいい」とは思っていません。
まだ死にたくない理由は、たぶん一つだけです。

子供の成長を見届けたいから。

私には 9歳と 4歳の二人の娘がいて、この子たちが大きくなって幸せになるのを見届けるまでは、絶対に死にたくないのです。
欲を言えば、この子たちが天寿を全うして死ぬまでずーっと見ていたい。

だから、肉体が滅んだ後も、現世のその後の成り行きを見ることだけはできる、リードオンリーメンバー(ROM)みたいなシステムがあったらいいのに、と思います。
こちらからは何もできないし、影響を及ぼすこともない、それでもいいから、ただ見たいし知りたいのです。
この子らがどんな人と出会って、どんなふうに歳を重ね、どんなおばさんになって、どんなおばあちゃんになるのかを。


「この世に何かを残して死にたい」みたいなことを言う人がいますよね。
立派な志だと思います。
でも私には、自分が死んだ後の世に、何かモノを残したり、影響を与えたいという欲求はないみたいです。

ただ、知りたいだけなんだよね。
人間の最後に残る欲は、この「知りたい」だけなんじゃないかな。

私はそれを見続けるだろう

私は臨死体験もないし、幽体離脱したこともなく、全身麻酔ってやつもやったことがないから、死ぬときの感覚なんか想像できない。
でも、じつは似たようなことをほぼ毎日してるんだよね。
そう、人間は眠ると意識がなくなる。

眠ってる間は意識がなくても、夢を見ることがあります。
夢は、過去だったり、現在だったり、未来だったり、まあ荒唐無稽なもんですけどね。

人間は死ぬと(たぶん)意識がなくなる。
そしたら、夢を見るんじゃないかな。
いや、きっとそうだ。そうに違いない。てゆーか、絶対見る。
二人の娘たちが死ぬまでの長~い、長~い夢。
死んでからもそんなものが見れるなんて・・・うれしいなあ。
あれ、なんだろ。なんか涙が出てきたよ。なんで?

テキーラ呑みすぎだよ!

あ、大事なことを忘れてました。

妻の夢も見ておくか。