目次読書と”最大公約数のネコ”の関係
企画編集部の西藤です。
前回は、積ん読が起きてしまう原因や、
積ん読になってしまった方へのアドバイスをお話しました。
前回の記事はこちら
→ 積ん読もまた読書のうち
今回は、より読書の濃度を上げる「目次読書」についてです。
目次読書の話をする前に、記憶の話について少々お付き合いください。
みなさんにネコの顔を描いてもらったとき、
おそらくほとんどのひとが似たり寄ったりのネコを描くでしょう。
ピンと立った耳、つり上がった目、ヒゲ、「ω」のかたちをしたひげぶくろ。
アビシニアン、スコティッシュ、今流行りのサーバルキャットなど
種が異なれば特徴も異なるのは当然として、
同じアメリカンショートだって一匹々々をよく見れば、
人間同様、同じ面立ちをしたネコは少ない。
にも関わらず、わたしたちが最大公約数のネコを描けるのは、
脳が、枝葉末節を削ぎ落としたパターンとして情報を記憶できるからです。
そのようなメカニズムをもっているのです。
見たものをすべて記憶していれば脳はすぐにパンクします。
だから、枝葉末節はどんどん忘れ、必要なものだけを記憶する。
ネコを描く例のように、細かく見れば異なっている箇所を捨て、
共通する象(かた)を抽(ぬ)き出す。これを「抽象化」といいます。
一度、ネコの象(=パターン)が自分のなかにできあがれば、
今度はどんなネコを見ても「これはネコだな」と察しがつくようになります。
もしこのメカニズムがなければ、わたしたちは新しいネコを見るたびに、
ネコの特徴を一つひとつ確認しなければなくなります。
そうしないとネコをネコだと識別できなくなります。
想像しただけでもめんどくさいし恐ろしいことです。
本来、本の目次は、どこに何が書いてあるかを指し示す水先案内人として存在します。
しかし、見方を変えれば、本文を極限まで抽象化した情報のエキスが目次でもあるわけです。
したがって、それがパターンとして頭のなかに入っていれば、
初めて出会った情報に対しても「あれのことだな」と内容の理解が早くなります。
目次を理解しないままの読書は、
出会ったネコの特徴を一つひとつチェックしながら
本を読み進めるようなものです。
多くの読書家が目次をぞんざいに扱わず、
きちんと目を通すことを勧めるのは、
脳の記憶とその利用の見地からいってきわめて妥当なことなのですね。
目次よりもさらに本文を抽象化したものがタイトルです。
もしタイトルも目次を知らずに本を読み始めたら、
内容の把握はおろか、自分が読みたい本なのかそうでないのか、
そんな基本的なことすら途中まで分かりません。
わたしたちの頭は、抽象化された情報から全体像を掴むようにできており、
そのために目次読書がある。
目次は、お約束ごととして巻頭を飾っているわけではありません。
読者に本の構造をいち早く掴んでもらうために著者が工夫に工夫を凝らしています。
本文よりも目次に神経を使う方もいらっしゃるそうです。
そのくらい目次には著者の魂がこもっている。
目次を積極的に利用した読書で、さらに読書の濃度は上がるでしょう。
DNAパブリッシング株式会社
企画編集部 西藤 太郎
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