幕末もおもしろい(4)
前回記載したとおり、今回はお金の流れから幕末を見てみます。
▼ 江戸幕府は常に不景気
徳川家康が幕府を開いた 1603年当時、幕府はとても金持ちでした。領土も広く、佐渡や伊豆の金山から金を掘り、しかも徳川家康自身も倹約家であったため、日本国中のお金が幕府に集中していました。
しかし、江戸時代において産業は発展しつつも、幕府は江戸城の火事による城の修繕工事であったり、玉川上水のインフラ整備といった公共事業による支出は増えるものの、寒冷化による米の不作や金山の採掘量減少により収入は減る一方で、どんどん不景気になっていきました。
不景気をなんとか改善しようとしたのが、学生時代によくわからず覚えさせられた享保/寛政/天保の改革です。(名前とかどうでもいいんですけどw)
以上のように、幕府は徳川家康の遺産をどんどん食い潰していき、世の中は不景気により庶民の不満がどんどん増えていきました。
▼ 経済力をつけた長州藩・薩摩藩
そんな中、長州藩と薩摩藩は、経済改革がうまくいき、経済力をつけていったと言われています。
薩摩藩は、奄美大島など現代における奄美諸島や沖縄との貿易や、ヨーロッパなどの海外と密貿易をしていたらしく、貿易による商売で経済改革を進めました。
長州藩は、福岡〜越前などとの国内流通の要であった下関港を介した税関を利用して財政を改善していったそうです。
以上のように、幕府はお金が無くなり、長州藩や薩摩藩は着々とお金を貯めていったのです。
▼ 経済感覚に優れた坂本龍馬
そして、坂本龍馬という、様々な経験と広大な人的ネットワークをもった開国派の人が、海援隊という現代でいう商社をつくり仲間に財政支援をした結果、幕府を倒すにいたりました。
坂本龍馬といえば、土佐藩(現在の高知県)出身で、脱藩して日本各地をまわったり、日本人で初めて草履ではなく靴を履いたり、奥さんと新婚旅行を行ったり等、革新的であったりおおらかな自由人のイメージがありますが、武士でもあるものの商売人とも言えるほどとても経済感覚に優れていたそうです。
佐幕派 vs 倒幕派 といっても、戦国時代を制した織田信長〜豊臣秀吉であったり、幕末の長州藩&薩摩藩+海援隊の倒幕派であったり、勝って仲間を生かすためにもお金が必要不可欠なのです。
幕末の坂本龍馬から学べることは、以前福沢諭吉の『学問のすすめ』でも記載しましたが、より多くの人を守るためにも、経済力を身に着けようということです。