子どもながらに受けた衝撃

ふと思い出してYouTubeで動画を検索してみる。

なんでも出てくるもんですね。
便利な世界。有難い世界。

昔NHKで放送されてたスーパーバレエレッスン、という番組。
ルグリがオペラ座の若いダンサーたちにクラシックのパドドゥやコンテの指導をする、というマニア向けな番組だったんですけど。笑
今でいうロイヤルの公開リハーサルとか、WorldBalletDayみたいな感じ。

眠りのグラン、ジゼル2幕、ロミジュリ…の古典作品からベジャール、キリアンの現代作品まで幅広く放送されてました。
まだまだそんな作品を踊れる年齢ではありませんでしたが、ダンサーのリハーサル風景を見れる貴重な番組で、録画したものを何度も繰り返し観ていたのを覚えています。
いつか踊るときがくるだろう…とワクワクしながら…。


現代バレエとの出会い

そんな中で当時一番感動したのがベジャールの「アレポ」でした。
エンディングで模範演技が流れるんですけど…
ルグリとドロテジルベールの二人。

無駄のない動き。
スカッとした足捌き。
それでいてしなやかな上体の動き…。
しかも踊ってる二人が超絶楽しそう。
これぞdance!!
心から踊ってる!!みたいな。

いや、当時はそこまで思ってなかったですけど…

「うわーすごーい!なにこれ!!」

みたいな(笑)

ベジャールの作品なんて当時知りもしなかった。
ルグリもドロテも名前も知らず。
かっこいい、綺麗なダンサーだな〜ぐらい。
でも子どもながらに心に響くものがあったようで。
ダンサーはもちろんのこと、衣装の色味、音楽、振付、空間、全てが私の好みで…繰り返し繰り返し見ていました。

今思えば、コンテやネオクラ、モダンバレエに対して憧れを抱く最初のきっかけだったのかもしれません。

これは一体なんなんだ!!っていう衝撃。
美しくも、自由自在で、奇妙な音楽なのになぜか楽しい。
まさに心で感じた作品。

生涯「アレポ」を踊る機会はありませんが…
当時感じた胸の高鳴りは大事にすべきだな、と。
踊りに対する私自身の想いや考えの原点だったのかもしれない、と思います。

幼少期、思春期に見た、感じた衝撃っていうものは不思議なことに大人になっても忘れないもので。
今の自分を築き上げてきた大切なピースの一部なんでしょうね。

バレエ大好き少女時代


子ども時代、バレエ教室の先生や先輩方に憧れて、いつか私もこうなるんだ!と夢見て。
VHSのテープが擦り切れるほど再生して。
見よう見まねで家の中で踊って。
できるできない、なんか関係なく時間を忘れるほど夢中になっていたあの頃。
バレエの技術の練習には一切繋がっていなかったと思いますが…笑
あの時間があったからこそ、今の私がいるんだと。
今の自分の踊り方、表現の仕方にも繋がってるんだと感じます。

ええ、アレポも必死に真似してました。
覚えれなくてもできなくてもいい。
その音楽にのせてダンスをするだけで楽しい。
誰に見せるわけでもない、至福の時間。
ピュアだったなぁ…と我ながら思います。

どうしても大人になると…自分に対して「できるようになること」「正しくすること」を求めてしまう。
「できないこと」にフォーカスしてしまう。
もちろんダンサーを名乗るのであればそれは当たり前のことなんですけど。
形にハマるだけじゃそこに美しさは表れない…気がする。
時には身を委ねて、重力に身を任せて、流れるように踊る心地よさも必要…。
(コントロールありきの話デスケドネ)

今の私の土台となる「シンデレラ」

子どものときにとにかく夢中になったのはバレエのシンデレラ。
当時通ってたお教室の公演のビデオを見ながら、同じように見よう見まねで演じきる。

シンデレラの役をする日もあれば義理姉の日も。
四季の精もオレンジの踊りも一通り制覇したような気がする。

小道具もしっかり用意。
長い棒をほうきの代わりに、母親の写真も小さな写真立てを使う。
母親の形身のドレスは自分のお気に入りのワンピース、仙女にもらったドレスはお気に入りのレオタード。
全部全部一人で用意してセッティングして。
早着替えも一人で猛ダッシュ。笑

ヘアセットもしたかな。
バンダナ巻いたり。三つ編みしたり。
とにかく似せれる限りのことはした。

人前で見せることはほとんどなかった。
誰かにそんなことをしてる、と教えることもなく。
いつかシンデレラ役がしたい!!とかそういう欲望的なものも特になく。
とにかくその時間が幸せでしかなかった。
休みの日はビデオを再生して、とにかく踊る。演じる。

バレエというよりかは演技の方が好きだったのかもしれないけど笑
どうやったらシンデレラの喜びを表現できるか、どうすれば悲しんでるように見えるのか、どういう動きをすれば義姉のように意地悪に見えるのか、無意識のうちに考える力がついてたんだと思います。
ダンサーとして役を理解して表現しようとする感覚が当たり前に備わったような、そんな気がします。

他のダンサーを見て、私もいっぱい回りたい!脚を高くあげたい!と思う子どもだったら、もっとテクニックが強いダンサーになってたのか…
なんて思うこともありますが…。笑

スポンジのように吸収する力

話がコロコロ変わりましたが。
(元々は「アレポ」に対する想いを綴るだけの予定だったのに…。)

幼少期に見た、受けた感覚や衝撃っていうものは今の自分を大きく支える軸になってます。

だからこそ、小さな生徒や思春期の子どもにバレエを指導するときは細心の注意を払います。
子どもにとっては聞き流すような言葉かもしれないけど、何が引っかかるかわからない。
それがいいように引っかかり刺激になれば、講師として嬉しく思いますが…。
時には引っかかった言葉のせいで悩むことにもなります。

私が実際そうでした。
何気なく教わったバレエの動きも、ニュアンスの違いだったり受け取り方の違いで、大きく方向性が変わることもある。

生徒全員を正しい方向に導くことは実際難しいことかもしれませんが、私の放った一言で苦しむことのないように。
自分自身の発言には責任を持つように。
そして生涯学び続けないといけない、と考えてます。

子どもに対して、だけではないですね。
自分の放った言葉っていうのは想像以上に人に影響を与えてしまうことがある、という責任と自覚を持たなければいけません。
時には傷つけてしまうことも、悩ませてしまうこともある。
それが最終的にその人にとってプラスになるのであれば、いいのかもしれませんが。

人から人へ与えるパワーやエネルギーっていうのは膨大なものだと思います。
いいパワーも悪いパワーも。
選別して跳ね退けるパワーも必要です。
だけど、皆が皆その力を持ってるわけではない。
お互いが理解し合って、支え合って、いい刺激を与え合える環境がいいですよね。
年齢関係なく。立場関係なく。

子どもを指導していて、学ぶことばかりです。
ピュアな心と触れ合うと気付かされます。
私もそんなピュアな時代があったはずだ、と。笑

経験を無駄にするわけではなく。
でもいつまでも子どものように吸収し続ける力は失いたくない、そんな風に思います。

自分のための備忘録とはいえ…長いなぁ…。

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