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Privacy by Design Conference 2024での補足説明(3)
(2)の続きです。
(1)で日本とそれ以外の国で比べると、デジタルスキルの意味合い・視点をどこに置いているのかの違いがあること、(2)で日本には「電子機器を使うための知識・スキル」についての統括的なフレームワークがないよ、ということを説明しました。
(3)ではこの現状を放置しておくのは得策ではないことをお伝えしたいと思います。大きく分けると2つの点があります。
1つ目は人材の流動化の妨げとなる恐れがあること。業務をこなすうえでの最低限のデジタルスキルと関連知識の評価基準を他国と揃えていなければ、揃えている国同士の人材の流動化と比べて不利になるでしょう。そもそも、デジタルスキルのフレームワークがない側にいる人が、フレームワークがある側の人を評価するにもできない問題もありますが。
ご存じの通りISOの対象は、モノ→サービス→人的資源と広がっています。デジタルスキルの有無は、この「人材」の部分の一部でもあります。評価基準を同一のものとすることで組織内のデジタルスキルについての人事考査も公平・公正になると考えています。
2つ目は、最低限のデジタルスキルと関連知識を定めておくことでシステム開発時にユーザーのスキル/知識レベルをある程度予測できることになるメリットが生じるということです。つまり、システム開発をする際、ユーザーのスキル/知識レベルを全く無いと想定して開発するのと、ある程度のスキル/知識レベルがあるものとして開発するのとでは、後者の方が楽ですよねということです。(もちろん、ユーザーマニュアルを作成する際にも影響します。)
これはPrivacyTechでも同じことでしょう。プライバシーについてユーザー、顧客のスキル・知識が全くない前提で開発するのと、ある程度のスキル・知識がある前提で開発する。どちらが開発側として効率がよいのかは自明の理です。
日本の社会も、作るためのスキル・知識だけに注目するのではなく使うためのスキル・知識にも目を向ける日が1日でも早く訪れるよう願う次第です。