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どこかが痛いと、「私死ぬのか?」と思う癖

外観でも、レントゲンでも分からないような怪我をした。

怪我ってなんで、怪しい我なんだろう

整形外科医は、私の訴える症状を信じて治療をしてくれる。

昔から、親でなく医者に頼ってきた。

痛ければ、手当してくれるのは母親ではなく
医者だったのを思い出した。

大した怪我でなくても、痛いと包帯を巻いてもらい、翌日の体育は休んだ。

もしかすると、今回の怪我も、他の人からしたら大した事のない痛みなのかもしれないけれど、ロキソニンを飲まずにいると、車のハンドルも痛くて回せなさそうな感じがするので、ロキソニンは一日2〜3回お世話になってる。

人生で、肋骨を強打するような転び方をしたのは初めてだった。

遠い昔、父が酔っ払って、雨の中ずぶ濡れになって帰ってきたことがあった。

なんだか胸が痛いと言って、翌日珍しく一日寝ていて、肺炎になってるのではないかと、家族で心配した。

息苦しさを感じているようだったので、母も心配して、近所で医者をやってる知り合いに口聞いてもらって、埼玉県の大きな病院へ車で連れて行ってくれて精密検査を受けた。

結局は、六ヶ所折れていた。

何があったか聞いたら、酔っ払って階段から滑り落ちだということを、白状した。
みんな、呆れて、しばらく父と口を聞かなかった。

そんなことを思い出した今回の肋骨強打自損事故。

痛みは消えず、とにかく、痛みを感じるとき、生きていることを実感するのだけれど、
私は、痛いとき、必ず「死ぬかなぁ」と考える。

忍耐力がないので、このまま死ぬかも、とか思いながら、私は毎回死ぬことはない。

24のときにプロポーズしてくれた高校時代の同級生は、車のラリーのレース中に事故にあった。肺出血だったと。。。

痛みを感じていたかどうか、誰も知る由もなく彼は旅立った。

この程度の痛みじゃ、死にはしないのは分かっているが、私にとって、死ぬことよりも、痛みのほうが耐えられない。

頭痛が酷くても、気管支炎で咳が止まらなくて胸いたくても、便秘でお腹が痛くても、
毎回、「死ぬのかな」って何故か思う。

そして、いづれもまだ、
気を失うほどの痛みを味わったことはない。

私は、どうやって死ぬんだろう。

きっと誰もが願うように、
「おやすみ」と言って眠りについて
夢をみないまま、旅立つことを願う。

痛いのは生きている証拠

それはありがたいことだし、
年齢を重ねれば痛みも友達にならねばならぬ。

今回のような不用意の痛みは
余計私に死を考えさせる。

死ぬ前に、できることをやろって気にもなるが、痛いと、しかたなく、治るまでいきていなければならないと考えるようになる。

痛みよ。。

生きている証よ

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