Human Legacy Dining in Paris プレゼンテーション骨子(パリ五輪につなぐ東北の食の生産者のレガシー)
2011年3月11日、14時46分。マグニチュード9.0の巨大な地震が発生しました。
そして30分後、15mを超す巨大な津波が東北地方を襲いました。
翌3月12日。東北沿岸の町は廃墟と化していました。
そして15時36分。福島第一原発が水素爆発を起こしました。
明白な危機でした。現代社会の人類が直面した危機で最大のものの一つではと思います。
日本の食を支えてきた食糧庫の東北地方の農業、漁業、食産業がもうなくなってしまうのではないかとさえ思えました。
そこから街や道路や線路、そして、漁港や田畑などのインフラを復旧するには、多額の資金が必要でした。
また、放射性物質の飛散状況を解明し、除染を行い、食の安全性を担保するには、科学と理性が必要でした。
街や漁港は復旧し、福島県では米袋は全袋検査が行われ、世界で最も厳しい放射能基準を上回る検出は一袋もありません。
しかし、人々の食への「安心」を取り戻すには、資本と科学だけでは不十分でした。
その米が、野菜が、フルーツが、どこでどのように作られたのか、その魚が海藻が、どこでどのように育ち獲られたのか、それを最もよく知っている生産者が立ち上がり、伝える必要がありました。
日本の伝統的に極めて長い食のバリューチェーンの中で、最も消費者から遠いところにいた農家が、漁師が、水産加工業者が、全国を飛び回り、自分の育て収穫した作物の安全性を、美味しさを、想いを伝え始めました。それは復興(Reconstruction)というより、ルネッサンス(Renaissance)と呼ぶにふさわしいものでした。
この人の作ったものなら、この人が保証するなら間違いない。資本と科学だけでは難しかった、食の安全性に対する人々の信頼を担保したのは、人でした。
福島、東北の食の生産者が震災後経験した苦悩は想像するに難くないはずです。
東北の食に対する信頼を取り戻した彼らは、犠牲者ではなく、ヒーローです。
そして、彼らのこの10年間の軌跡こそ、今回の五輪で世界に伝えるべき「レガシー」、Human Legacyだと思います。それを世界の皆さんに伝えたくて、次の五輪の開催地であり、食の都であるこのパリへやってきました。
今日こうして、福島をはじめ、東北の生産者を世界のみなさんにヒーローとして紹介できるのが大変嬉しく誇らしいです。
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