DJ SASA終活的備忘録(2)【DJ SASA誕生前(高校生時代)】
中学3年でスカとYMOを知った少年はエスカレーター式学校だったので高校にスライド入学。
テレビよりラジオと触れ合う時間が多くなってきた。
NHK-FMで坂本龍一のサウンドストリートが始まったのが高1の春。
高知では聞いたことのない音楽が毎週OAされてた。
サウンドストリートを聞いたことによって下記のようなアーティストの存在を知った。
・スロッビング・グリッスル
・フライング・リザーズ(Move On Upがカバーと知るのは大人になってから)
・キャバレー・ヴォルテール
・ブライアン・イーノ
・クラフトワーク
・ペンギンカフェオーケストラ
・その他
カメラマンのトシ矢嶋さんのゲスト回のOA曲はすごく印象に残ってて。
トム・トム・クラブ、ブルンディ・ブラック等を紹介。
当時高知で唯一だったと思われる輸入レコード屋に行ってブルンディ・ブラックの12inchを購入した。
当時、非常に便利だったのが貸しレコード屋。高知にも黎紅堂、友&愛、レックという全国的に有名な貸しレコード屋があってサウンドストリートで放送された曲が収録されてるレコードを借りてダビングしまくってた。
喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム"ハイサイおじさん"も借りた。
不思議なアルバムといった印象でモヤモヤした記憶。
今、思い出したが中学時代に"8時だよ全員集合"を見てる時にいかりや長介が"今日は沖縄のお友達?を紹介します"って言って紹介してたな。
YMOを聞いてると弾きたくなってきて。叔母が電子オルガンを持っていたので借りてライディーンを弾いてみようとトライ。
もちろん学校で音楽の授業があったけど楽譜を読むのは苦手だったのでライディーンのメロディーラインを楽譜を見ながら弾くのは一苦労。
"演奏は向いてないかな。。"と諦めかけてた時にYMOネタが多かった月刊誌"サウンドール”にコード表が付録で付いたことがあって。
コード表を見ながらマイナー、メジャー、7th、6th、sus4、dim、aug等のキーボードの押さえ方を理解したら急に演奏に芽生えた。
あの時コード表を見てなかったらキーボードを弾くことは断念してたはず。
キーボードを多少弾けるようになったらバンドに誘ってもらうようになった。誘われたバンドのレパートリーはThe Mods、佐野元春、浜田省吾。
今思えば"Two Punks"で無意識のうちにレゲエバッキングをしてた。