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サイハテ完結に寄せて ~ぼくたちの失敗~ 生存戦略、しましょうか

2023年11月、三角エコビレッジサイハテは12年間の歴史に幕を閉じました。この文章を読まれているような方なら大半はご存知かと思いますが、私はサイハテ立ち上げのメンバーであり、最初の住人であり、この土地を買い上げた人間で、サイハテ運営と距離を置きながら批判的な考えを持っていましたが、サイハテが終わることに関しては、住人の総意であったことは間違いないかと思います。

とは言え、感傷に耽る暇もなく日々は流れ、出ていく住人もいれば残る住人もおり、それでも変わらずこの場は続いていくことになるのです。ここで、はたしてサイハテとは一体何だったのか、そして今後どのような場に変わっていくのか、ということを私の視点から言葉に残しておきたいと思います。ちょっと長いです。

起/「サイハテ=お好きにどうぞ」ではない

三角エコビレッジサイハテは2011年の11月11日に“開村”しました。当時の時代背景として、最も大きかったのは東日本大震災とその後に起きた福島第一原子力発電所の事故です。サイハテがサイハテとして成立し得たのは、間違いなくこの大きな時代の変化のうねりにあったかと思います。最初期の住人は全て熊本県外からの移住者(移住の理由は様々)であり、“お好きにどうぞ”を合言葉に開村した、という言説はほぼ誤り。ほぼ、と留意を置いたのは発起人の工藤シンクの影響力はやはりそれなりに大きかったからです。東日本大震災を契機とした時代の変化も、この10年ほどでその文脈は大きく変貌したように、“お好きにどうぞ”もまた濃淡はずっとあり、その意味合いは変容してきたと思います。それはシンパシーの度合いであったり、よくある解釈違いであったり、工藤自身の変化もあったとは思います。しかし、過去に一度でも「サイハテ=お好きにどうぞ」というコンセンサスが住民たちの間で完全に得られることはなかったと、最も批判的な私の考えを抜きにしてもそう断言できます。サイハテ完結のわかりやすいストーリーとして語るならば、濃淡はあれど住民それぞれに“お好きにどうぞ”の限界は感じており、いよいよノーを突きつける、という結論に至ったというところでしょうか。私も“お好きにどうぞ”が工藤の権力装置として機能している、という論旨の批判を文書に残しています。ご興味ある方はそちらもご一読下さい。

承/「エコビレッジ」ってそもそも何なの?


それではサイハテのもう一つの顔であったエコビレッジとは何だったのでしょうか。結論を先に言うと、私はエコビレッジとは一種の精神運動だったと考えます。エコビレッジ論は、ここで書くにはあまりにも大きなテーマなので、駆け足で語ることになってしまいますが、私はこの10年ほどでエコビレッジやパーマカルチャーへの関心の大半を失いました。その主たる理由は全てが“スピってる”から。私自身もある意味“スピって”いたのでしょう。人は誰しもスピる。2011年サイハテ発足当時でも後に“カルト村”と内部告発を受けるヤマギシ会の問題点は認識していたし、オーロヴィルやフィンドホーンなどスピリチュアル色の強いエコビレッジをモデルケースにしたわけでもなく(現地に行ったことすらない)、当時は新しい時代に即した新しい概念としてのエコビレッジ、というものが立ち上がるだろうと楽観的に捉えていたのです。勿論、話はそううまくいくはずもなく、自給自足的な話で言えば、私はほぼ関与しませんでしたがフリーエネルギー的なものに騙されたこともありましたし(サイハテ側のエネルギー問題への関心と知識が浅いことに起因していると思います)、食料自給も大きな成果を出しているわけではありません(労働力の配分など複合的な理由もあり)。環境問題で言えば、トレンドは気候変動やSDGsなどに移行したのに対し、そうした“ソーシャル”なテーマへの興味は尽く薄い。サイハテにおける議題の中心は、ほとんど常に内向きの精神論であったように思います。あるがままの自分を受け入れてほしい、人生や幸福について、家族やコミュニティの在り方など。そういった誰もが明確な答えを出せない問題に、“お好きにどうぞ”と言い切るのは、ある種の人々にとって救いにもなったはずです。私は“お好きにどうぞ”は最初から失敗だったとする立場ですが、工藤は粘り強く主張し続け、サイハテの世界観やブランディングを“エコビレッジ”以上に規定してきました。ただ、明らかに誤謬だと思うのは、彼自身「世界=お好きにどうぞ」ではないと受け止めたからこそ、その言葉を生み出したはずなのに、「世界=お好きにどうぞ」であるという立場を固執し続けたことです(サイハテが終わった今も執着している)。ここで私が主張したいのは、“エコビレッジ”や“お好きにどうぞ”という容れ物が、自給や環境といったテーマよりも、人々の“スピり”を受け入れる土壌として機能していた、ということです。

転/サイハテ、「エコビレッジ」やめるってよ

エコビレッジとは結局“スピる”ための場所でしかなかったのか。世界や日本国内を見渡しても、そうした事例は枚挙にいとまがありません。私は誰しも“スピる”自由があると思いますし、人々の精神がそうした方向性に偏ってしまう理由があるのも理解はできます。時代的な要因もあるはずです。抽象的な話ばかりでなく、具体例を挙げて論じましょう。前述の通り、サイハテは東日本大震災を契機とした時代のうねりの中で生まれました。つまり、政治的には反原発の文脈が論点として最も大きかったわけですが、これは政治的に敗北しました。後に工藤が大きく関与することになる選挙フェスも敗北。次第にサイハテにおける政治色は脱色されていきますが、その残滓は今も残っています。元住人には、オーガニック極右政党とも呼ばれ“スピ”系からの支持も多い参政党から出馬の話があった人間もいますし、立憲民主党でありながら参政党と酷似した農業政策(農家からは農業デマと強い批判を受けている)を主張する議員の手伝いをしている人間もいます。私はサイハテがコミュニティとして、政治色を脱色させることに関しては賛同の意見を持っていました。一方で、それと同時に強く政治的な意識を持つ必要性もあると考えます。そんな単純な対立構造で世の中が動いているわけではないことは重々と承知しながらも、コミュニティとして保守とリベラルは共存させなければならないし、地方政治という複雑なレイヤーにも目を向けるべきです。コロナは政治的にも世の中を大きく分断しましたが(そしてそれは今も尚、形を変えて継続しています)、人々の“スピり”が何に関与してきたのかは、冷静に見つめ直さなければならないと思います。そうした中、私が最も問題意識を抱いたのは、マルチ商法や神真都Q、「特定の宗教団体」といった“本物”の“カルト”が極めて身近に現れたことです。スピリチュアルやカルトは本来なら宗教用語であるのですが、現代のそれらの問題は既存の宗教という領域を逸脱しており、そのことがより多くの混乱をもたらしているように思います。

ここでサイハテ最後のイベント『SAIHATE FINAL』に訪れたと思われる宗教学者による文章を紹介。

https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/jiji/20231117.html
コミューン志向の若者たち 
問い返される宗教の共同体
東京工業大教授 弓山達也氏
中外日報 2023年11月22日 掲載

サイハテを宗教の共同体と対比した上で、好意的な内容で書かれたテキストではあるものの、著者はマルチ商法に関する著作などもあり、そうした要素に触れないのは御本人も文中で認めるように調査不足だったのではないか。また、ヤマギシ会とサイハテは比較対象として、この論旨では適切でないと思う。何をもって成功とするかは難しいが、経済的な規模で言えばヤマギシの方が遥かに上だし、サイハテもテレビ取材などを通した炎上騒ぎが数度あり、批判も受けている。ましてやマルチやQや某宗教団体への批判はそれどころではない。これらはいずれもサイハテ内部にかなり食い込んでいたことを詳細に論ずることも可能。この著者に限らず、「(農村型)オルタナティブコミュニティとは本来そういうものだ」という目線は広く通底しているのではないか。その歴史や文脈については理解できるが、そうではない可能性というのも本来ならあったはずなのだ。

決/時代の変化をポジティブに捉えること

要するに何が言いたいかというと、エコビレッジやらパーマカルチャーやらは古い時代の遺物であり、サイハテが成功?したように見えるのは、それらを現代的にアップデートしたからではなく、ニッチな需要(=“スピ”)を受け入れる媒介として機能していたからではないか、という考察であり、本来の意味での多様性を認めることが(新たな)サイハテにとって重要ではないかという提言であります。繰り返しになりますが、誰しも“スピる”自由はあるし、サイハテが嫌いな人の中にも(私のように)その人なりの“スピ”があるだろうし、世の中には色んな“スピ”がある。

スピスピ言い過ぎて自分でも何を言ってるのかよくわからなくなりますが、これまでもサイハテ側へ「スピってるよね」という指摘に対して頑なにそれを認めようとしなかったことが何度もありました。そんなことはないっっっ!!!サイハテとはエコビレッジでもヒッピー村でもなく、(“カルト”に近似した)スピリチュアル村であったと、過去から今に振り返ってみても強くそう思います!!!私は今でも“スピって”ない村作りを夢見ていますが、それはどう考えても困難な道で、“スピる”欲望にちゃんと向き合っていきたい。また、そうした私の思いとは別に一線を越えたものを受け入れることはできないのです。それが私の言う“カルト”の問題であり、サイハテで論点として挙がることはほとんど無かったですが、例えば差別の問題であったり、性加害の問題であったり、戦争の問題と言い換えても良いでしょう。社会と折り合いをつけてゆくこと。

工藤シンクに全ての責任を押し付けるつもりもありません。彼の問題意識はある意味では普遍的とも言え、プレゼン能力に長けていたこともあり、一部では大きな共感を得てカリスマ性もありましたが、サイハテでは限界があったのも多くの人が認めるでしょう。失敗の要因は大きく2つあると思っていて、1つは彼の人脈の大半が“スピ”系に終始してしまったこと。もう1つは反資本主義的な終末思想で、その後のビジョンを描けなかったこと。私も資本主義はクソだと思っています。それでもクソ資本主義はまだ終わらないとも思うし、しばらくはこの世界と付き合っていかなければならないと思うのです。資本主義社会下におけるサイハテの“失敗”は、僕たちみんなのせいであり、「(農村型)オルタナティブコミュニティとは本来そういうものだ」という目線による共犯関係がそれを支え続けました。

エコビレッジというと一見良さげなイメージはあると思いますが、そこにはSDGsと同じように大きな欺瞞があったわけです。貧困問題の解決を目標に掲げながら、SDGsを標榜する企業の大半に貧困への問題意識がないように、持続可能な世界を追求するエコビレッジでありながら、環境の問題は置いてけぼりで、自らの心の在り様ばかりが追い求められる。

でも、私はこんなことを責めたいわけでなく、ただ今は失敗を失敗と認め、より良い世界、より良いコミュニティの在り方を議論したいだけなのです。私が今考えていることを列記してみます。①資本主義とそのオルタナティブ(お金が消えた世界?)の共存②エコビレッジの概念や歴史や文脈を引き継がず同時にそれらが本来持っていた可能性を追求すること③スピと向き合い多様性を認めニッチな需要ではなく社会的に意義のある価値を見出すこと(極端な利益主義には走らない、それは歴史的に明らかな失敗だから)④社会との歩幅を合わせること⑤田舎/都会の境界を飛び越えつつそれぞれの価値も認めること⑥次世代への継承⑦何よりも生き延びてゆくこと

自身もそうであったし、サイハテの誰よりもサイハテへの批判・嫌悪・ヘイトを直接見聞きする立場でもあったので、気持ちはよくわかりますが、もっと色んな人に遊びに来てもらいたいですよ。適切な距離さえ保てれば大抵はそれなりに楽しく過ごせると思います。願わくば、一緒に村作りしてみませんか?自分のできることとしてパーティーは続けていこうかなと。いまだ伝説として語り継がれることの多い「ニューサイハテシャンバラデイ」のようなイベントにもまた挑戦してみたいと、ようやく思えるようにもなってきました。

とりあえず、3月に新生サイハテの杮落としを行う予定です!1つ考えていることがあって、それは皆とも共有しているのだけど、名前についてはもうちょっと考えてみたいかな。ギリギリになるかも!?何か考えがある人は聞かせて!何でも。


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