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桜が咲く限り、僕は忘れない。

真夜に散歩していたら、不思議な光景と出会った。

川沿いの桜並木。黒い空間の中、一部ぽぅっと白が映えている。

周りの桜はまだ蕾だというのに、一本だけフライングで咲いていた。気の早いことだ。


亡くなった妻は、桜がとても好きだった。

新婚旅行は京都の桜を見に行ったし、娘が生まれるとわかったときは「桜」に因んだ名前にしたいと喜んだ。〝麦わらの一味〟チョッパーにハマったのも、きっと彼が桜に縁のあるキャラクターだからだろう。


春になると、家族でよく桜を見に出掛けた。

都内をいろいろ回ったけど、忘れられないのは2017年3月に見た桜だ。

その日、僕らは息子の野球イベントで東京ドームを訪れていた。

少年野球を卒業し、中学野球へ。息子は全国優勝するような超強豪への入団が決まっていて、とても晴れやかな顔をしていた。そんな姿を見て、妻も笑っていた。娘は退屈そうにしていたが……。

桜を見たのはその帰り道だ。

神田川に沿って連なる桜並木。ふと、こんな言葉が浮かんだ。

「あと何回、家族4人でこの桜を見られるだろう」

実は、妻ががんだと知らされたばかりだった。舞い散る花びらを見て、別れを意識してしまったのかもしれない。

僕は不安を振り払うように「大丈夫、何回だって見られるに決まっている」と思い直した。

妻は、その1年半後に天国へと旅立った。


真夜中の散歩は続く。

妻が生きていたころから、街並みは随分と変わった。

彼女と訪ねた書店。
彼女と入ったパチンコ店。
彼女とランチしたファミレス。
彼女と遊んだボウリング場。

次々となくなっていってしまった。まるで思い出を取り上げられたかのようで、寂しくなった。


時々、こわくなる。

年月が妻の記憶を奪っていってしまうのではないかと。いつまでも、忘れたくないのに。

だから、僕は桜を見に行く。

街並みは変わっても、彼女と見た桜はまた咲く。桜が咲く限り、僕は忘れない。



今回は、いつもと違うテイストで書いてみました。

妻と桜にまつわるエピソード、こんなのもあります。よかったら読んでみてください。


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せき|放送作家|オリックス&ジャンプ好き
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