乾燥の完走の感想(サハラ砂漠257kmマラソン)
Sahara Race 2018 - 257km (6 stages, 7days)
乾燥の完走の感想を書こうと思って、時系列にダラダラ書き起こしていたのですが、やたら長くなってしまったので(なにぶん7日日記なので)、ロングバージョンはお蔵入りさせることにしました。
帰国後お会いした人たちからのご質問で、何をお知りになりたいのか概ねパターンが掴めたので、想定問答集形式にすることにしました。結局長いんですが。
Q1 何してきたの?
アフリカはナミビアという国で、7日間かけて257km走ってきました。
Racing the planetという団体が運営する4 dessert raceシリーズの一つです
RacingThePlanet | 4 Deserts Ultramarathon Series
Q2 どこそれ?
ナミビア: 元ドイツ領、人口226万、人口密度2人/㎢、GDP 84億ドル…
ナミブ砂漠: 世界最古の砂漠、50,000㎢の広さ、世界遺産…
続きはwebで。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ナミブ砂漠
ナミビアはサン人の言語で『何もない』。何もないです。
スケルトンコーストという、中二なの?ワンピースマニアが悪戯書きしたの?と思わされる、分かりやすいドクロマークが模られている門からエントリーします。
Q3 どれくらい遠いの?
日本から30時間くらい。ケープタウン経由、ヨハネスブルグ経由という2ルートあるのですが、ヨハネスブルグはネット会では有名な、かのコピペの舞台になるほど危険と聞いているので、問答無用でケープタウン1択。
ヨハネスブルグとは [単語記事] - ニコニコ大百科 (nicovideo.jp)
Q4 食べるもの、寝るところは?
食べるもの、寝袋やそれを敷くパッド、丸焼きにならない、凍死しない、病気、怪我、ジャッカルと闘うための道具、生理現象系含めて、生きるために必要なものは全て背負って走る必要があります。運営側が用意してくれるのは水だけです。
あとは、終盤に徹夜で84km走るステージがあるのですが、その1番辛いところを超えると「コーラ1本だけ」支給されます。月並みですがこのコーラは世界一。
Q5 キッカケは?
いつかのサロマ湖の100kmマラソン(いつか書きます)で、もう寒いのは嫌だと言ったら、じゃあ暑いところいきましょ、という熱いメッセージが同僚から届いたため。
この頃、落っことしたiPhoneのキーボードの左半分が使えなくなる故障に見舞われており、「さ」と「は」と「ら」行しか打てない時期があったので、サハラレースに出るのは必然だったのかもしれません。本当にあった怖い話です。
Q6 イメージがつかないんだけど?
強烈な熱風、昼間50℃前後、夜間氷点下、濃霧、進まぬ足場、終わらぬ砂丘って感じでしょうか。
「真夏の熊谷(いつも最高気温を記録しているイメージ)の公園の砂場で、3歳の子供をおんぶして、顔面から1mの距離でドライヤーをあてられながら、フルマラソン、終わったら大至急業務用冷蔵庫で寝る、を1週間毎日」
というのをイメージするとちょっと近いかもしれません。
Q7 何食べてたの?
基本は災害用のパッケージに入っているもの系です。パサパサのやつら。中毒なので大量のチョコレートも持っていきました。砂漠にチョコレートとは正気か???と大分言われましたが、これワタシのライフラインなので。溶けても夜固まればほら元どおり、とも思っていました。あとはグミ。
数多くのチョコレートを持っていきましたが、中でもこの3つはいつまでも食べたくて最高でした。そもそも溶けていません。さすがのJapanクオリティ。
1. ROYCE’ ナッティバー
2. ブラックサンダーボルト
3. IL Maxi Biscotto Cookies
グミはWelch’sのブドウとマスカット。乾ききった体に染み渡るこの喉越し、どこのブルゴーニュのシャルドネ(パーカーポイント100)かと。
あと、カレーメシが最高に美味しかったです。諸外国の方々もそのクオリティの高さに驚いていました。ただ何を血迷ったか、スパイシーバージョンを持っていったので、ただでさえ渇いている喉が異常な程渇きました。
Q8 得られたものは?
1. 足跡ペタ記録
レースコースは厳重に管理された国立公園で、管理者及び本レース以外で人が立入ることを許されていない地です。砂を含め、あらゆるものを持ちだすことを禁止されており、足跡以外残すことも禁止されています
2. チーム世界一
規模?認知度?異論は認めません。
3. 断捨離力
荷物は1gでも軽くしていけと多くの人に言われたのに、ファイナルファンタジーでも最後までエリクサーが使えない性格が災いし、最後まで使えないようなものをたくさん持って行き、初日は重さで圧死しそうでした。
2日目にかなり多くのものとサヨウナラ(主に現地民に進呈)しました。
以下別れを告げたものたち
1.コンパス: コースアウトした際に、あっちが北だっ!!とかわかっても全く役に立ちません。ジッとしていたほうがマシです。その程度の方角なら、太陽と月の感じで概ねわかるくらい、砂漠は何もないです
2.スポーツジェルたち: あれは高速マラソン等で一瞬でカロリー摂取が必要な人用ですね。美味しくもないものを何故こんなに大量に持って来てしまったのか
3.折りたためるコップ: シリコンで出来たカップ。よく犬の散歩で水をやるのに使われているものです。砂漠では人が、ZIPロックから出したパサパサの米等を入れたり調理するのに使います。即時処分。
調理にあたっては人が捨てた食べ物の袋をゴミ箱から拾いそれで調理していました。この程度のことは全く気になりません(元々)。韓国の参加者が捨てた激辛キムチラーメンのゴミで調理した日本製春雨スープが激ウマでした
尚、すっかり図にのり捨てすぎたことで、残り2日時点で食糧を全て食べ尽くしてしまい、色々な人から恵んでもらうことになりました。ただ、先方も捨てたいようなものを恵んでくれることも多く(もらっておいて大変失礼)、もらってしまった超まずいものを我慢して食べるのは辛かったです。「有難迷惑」という言葉を英語で伝える語彙力がなくてよかったです。
また、Kindleには悩まされました。活字中毒のため唯一持っていたデジモノ。
「Kindleは光らない = 砂漠では読めない」
Kindle Fireだったか。さすがに充電器もなく、日本語ブックだけが詰まったものを現地民にあげても、と思い、ただの重りとレースを添い遂げました。
4. 収納術: バッグにものを永遠に詰める能力。毎日荷物を全部ひっくり返し、寝床をセッティングし、朝には慌てて全てを詰め込む。
満員電車に人を押しこめられる駅員さんと同じくらいの熟練度になったと思います。
5. 砂っぽいものは大体友達: 栄養補給兼甘物補給ということで、トリプルチョコレート味のプロテイン(Six Star Elite Series 100% Whey Protein Plus Triple Chocolate 1.8lbs US : Everything Else (amazon.com))
を沢山持って行ったのですが、初日にひっくり返してしまいます。慌てて掻き集めて袋に戻したのですが、チョコパウダーと砂漠の砂は全く見分けがつかないので、初っ端から砂を大量に食すことになりました。
これに加えて毎日砂漠を見すぎ・踏みすぎたため、砂を見れば大体どのステージのものなのかわかります。利き砂師、いやサンドマスターですかね。
6. デジタルデトックス: 真面目にこれはとてもよかったです
Q9 発見はあった?
1. (写真がないのが残念なのですが)砂漠のど真ん中に、水々しい梨のような果物が大量に落ちている場所がありました。木がないのに。
人類の永遠のテーマ、『ニワトリたまご』の謎は解明されました。
たまごです。
2. 無限の白骨死体、難破船
3. 夜って暗いんです
Q10 何考えて走ってたの?
序盤は永遠に食べもののことです。
砂漠って白い綺麗な砂丘のようなものを想像していましたが、写真のように、鉱石が粉々になったものが砂丘に被さっているような地形も多々あり、ティラミスが食べたくて仕方なかったです。
ずっと空腹なのでパサパサ飯にも恋い焦がれてしまいます。
『そこにあるものが極めて限定的な局面では、如何なるものも大切に感じることができる』
モノ余りの時代と言われる現代の社会問題に一石を投じました。
中盤はマズローの欲求レベルが昇華したのか、基本欲求を超越して、砂漠で出来るビジネスは何だろう、みたいなことを考えていました。
このレース、多分オフィシャルスポンサーがあまりついていないと思うのですが、7日間、人間が身につけて過酷な環境に晒し続けるチャンスってそうは無いはずなので、この人体実験データは売れると。
シューズやザックの耐久性、日焼け止めでも何でもいいんですが。
因みに、生まれて初めて日焼け止めを買いましたが、アネッサのパーフェクトUVスキンケアミルクは無敵です。砂漠を走って来たことを疑われるレベルで日焼けしません。
森星は『美肌よ、ずっと、輝け』ではなく、『砂漠の太陽にも絶対焼かせない』と言うべきです。
終盤戦はアルジャーノンの花束よろしく、思考が退化してしまったので、単純なことしか考えられなくなります。
「あとなんきろできょうはおわるんだろう?おわったらごはんたべてねたい」
という感じになります。
また、あまりにも景色が変わらないので、新しい試みを始めます。
都内の主要な道は大体走ったことがあって、距離のイメージが割と正確にわかるので、脳内で都内の映像に置き換えるゲーム。
今日の残り距離は10km、じゃあ渋谷から池袋にセット。残り3km、今新大久保通過みたいな感じです。ところが脳内変換の過程で、代々木=餃子、新大久保=チーズダッカルビ、と変格活用が止まらなくなり、余計にお腹が空いたので直ちに終了。
あと1人ココロしりとりもしましたね。自分の語彙略のなさのストレスに加え、りょうり、りんり、りまわり、などと自傷行為の繰り返しにより、神経が衰弱したのでこれも長続きしなかったです。
Q11 死んだ人いないの?
Q12 チームメンバーは?
不撓不屈・一意専心、KS
257キロ通してスピードが不変です。どこまでもブレることなくズンズン進める。泣き言など一言も吐きません。
食べ物も一貫しています。
朝: アルファ米(五目御飯)、カロリーメイト(プレーン)
レース中: 柿の種わさび、ジェル
レース後: カロリーメイト(メープル)
夜: ドライカレー、味噌汁
7日間一切変化しません。ブレない男。メチャクチャ男前です。
HP 1で戦える男 TM。
3人の中では本来最も戦闘力が高く、なんと学生時代に砂漠レースを経験している稀有な存在なのですが、100km地点あたりで膝を怪我してしまいます。足を引きずりその日はゴールしたものの、正直これはチームでゴールは無理だろうなと酷いことを思っていました。
ただ、足を引きずりながら関門時間ギリギリで全てクリアしていく様子を見て、150kmあたりで、この人は絶対完走するという謎の確信が生まれました。こういう絶対安心のオーラを出す人はカリスマ経営者に向いていますね。
また、原始人みたいな人で、フルマラソン2時間台で走るのに、ランニングウォッチを買ったことがないらしく、己の体の感覚で距離と時間をかなりシャープに当ててきます。
因みに、彼は僕を遥かに凌駕する大量のお菓子を持って食べ続けていました。バッグに入らないからと言って、パンパンになったドンキホーテの袋を手で持ちながら進んでいましたが、あのような耐久性が著しく低い袋を手持ちで参加した選手は恐らく世界初でしょう。
Q14 いきものいるの?
先のとおり、スケルトンコーストなる場所を走っていたので、大量の白骨死体に出会います。最初の頃は物珍しく、持ってみたり、写真撮ってみたり、被ってみたり色々やりますが、あまりに大量にいるので飽きます。むしろ自分が白骨死体にならないか心配になり始めます。
ミイラ取りがミイラになる的な。
生きているものですと、ジャッカルがいました。見た目すごいカワイイんですが、群で過ごし夜行性で猛獣の食べ残した肉を喰らうらしく、夜キラキラ光ってる目に見惚れて近づくと、喰われる恐れがあるらしいです。
アザラシの大量の群。近づくと蜘蛛の子を散らしたように海に逃げるのですが、バタつきかたがかわいすぎます。
あとはそこらに転がっているサソリ。
Q15 甘いものを信じられないくらい食い倒れながら1週間走るレースに出たって聞いたけど?
デザート違いです。確かに生きるためのカロリー摂取目的で甘いものばかり食べていましたが、ちょっと違います。
でもあったら本気で出場するし、多分優勝します。
Q16 どれくらい痩せた?
6kg増えました
このレベルの体重に達したのは10年ぶりです。
帰宅後、アンパッキングよりも、着替えよりも真っ先に行った、自衛隊式懸垂(日課)で異変を感じました。
これは体重が激増している…
またはアフリカと日本では時差以外に重力差が発生しているに違いない(物理学科卒)。
レース中は多分5-6kg痩せたと思うのですが、終わった後の反動食いですね。
因みにレース終了後は、大会側主催の表彰式兼打ち上げがあり、buffetで肉を中心としたご飯が振る舞われたのですが、完全に肉食獣と化した飢餓状態の80人の人間が本気になったため、二郎のマシマシの如く盛られた皿を持った危険な人たちが大量発生し(in 4つ星ホテル)、Buffetが20分でなくなりました。
Q17 出たいんだけど?
断捨離、収納術、砂の見分け方なら教えられます。
Q18 己の限界に挑戦したいんだけど?
Q19 完走したら泣ける?
乾燥しすぎて涙も出ません。
Q20 また出たい?
No.
Q21 次は何するの?
何もしません。
僕はやりませんが、このレースはシリーズものでして、ナミビアの他、中国のゴビ砂漠、チリのアタカマ砂漠のうち2つの中ボスを倒すと、ラスボスたる南極250kmというレースに出場する権利がもらえます。
今回の参加者の結構な数の人たちがこれにチャレンジしようとしていたのには驚きました。
Q22 でも暫くしたらまたエントリーするんでしょう?
No. バッグも寝袋もスリーピングパッドも直ちにメルカリしました。そしてすぐ売れました。どこかの砂漠レースで使われるのでしょうか。
以上。
追記: サハラレースという名前ですが、国際情勢に鑑みて一時的にナミビアで行われています(以前はサハラ砂漠で行われていました)