#8月31日の夜に。
北海道は夏休みが短くて8月31日はとっくに学校に行ってたから体験を共有できないけど、8/31は夏休み最後の日なんだね。今年は9/1が日曜日だからもう1日だけお休みできるのかな。観なきゃいけない、と直感的に思ってこの番組を観た。
たった一つの瞬間が宝石やナイフになったあの頃
中学生や高校生の時って1日1日がとっても重いよね。今よりずっと重い。
貴重な時間が失われていくような、だけどあとどらくらいの日々があるのかなんて数えることも忘れるくらい没頭する感じも同時にあるような。
あの頃、目の前の全てが世界の全てで、起きる出来事、かける言葉、かけられる言葉。その一つ一つが宝石であり、ナイフだった。
僕は、無自覚なナイフでたくさんの人を傷つけた。
脳天気なことを言うなって思われるかもしれないけど、傷つけられるより傷つける方がずっと辛い。やられたことは許すという選択があるけれど、、自分がやったことの許し方がわからない。許され方がわからない。許されても許された気がしない。当然の報いなのかもしれない。
「聲の形」を思い出す。石田くんが抱える気持ちはどうしようもなく自分とリンクする。
僕なりの向き合い方はその分だれかのためにがんばることで、誰かによりそうことだった。
だけどそれすらも自分のエゴで。しかも自分を大切にできない限り、本当の意味で人を大切にすることなんかできなくて、自分の思いやりの出処がそんな所なのだと思うとなんだか虚しくて申し訳なくて。だけどそれによって紡がれたもの、繋がれた人、大切な人もいて。
結局のところ自分の今を生きることしか、自分にできることはないんだと思い知らされる。
幸せになる資格はないと思って生きてきたけれど、その思い込みこそが人を不幸にして、人を幸せにする機会を逃すおだって悟った僕は、自分を幸せにするために生きることを決めた。
死にたい君へ
僕は死にたいとおもったことはない。だけど、生の怖さを感じだことは何度もあった。死にたいって思う君に大して思うのは、死にたいって思う感覚は間違いじゃないってこと。死にたいって思うそんな君はダメなやつなんかじゃないってこと。おかしくなんかないってこと。
死にたいと思うほどに生に純粋に向き合って、逃げずに噛み締めて、生きることを精一杯やっているからこそ、純粋だからこそ、君は生きるのが辛いんだと思う。
それでもそんな君に、ただただ生きてほしいと、在ってほしいと、僕は強く思う。「生きてほしい」という思いは君にとっては暴力かもしれない。だけどそんな身勝手な祈りを、許してほしい。だってそれこそが僕の幸せには必要だから。エゴだけど、でも、エゴでいいんだってなぜだか強く思っているから。僕がが僕の幸せのために祈ることが、誰かのためとかいう大義名分の嘘じゃなくて、本当だからこそ、誰かの幸せにきっと繋がるって信じている。だから僕は身勝手に祈り続ける。君が生きているという幸せをありがたさで僕を幸せにしてほしいって祈っている。
穴
純粋であることは辛いけれど、純粋であり続けるからこそ、人として生き続けることができるんだと思う。きっとそんな人がいつか誰かを救うことができる人だ。そして、そんな自分の純粋さを守ることができるのはきっと自分だけだ。
物理的に孤独じゃないのに心は孤独だったり。どんなに友達がいても、先生や友達や世間に評価されても、埋められない孤独や寂しさはある。埋められない穴はあるけど、その穴に向き合うこと、問うていくことが、辛いけれど同時に生きる美しさで尊さでもあると思わずにはいられないのです。
友達がたくさんいるけど孤独なんだって子も現実的にたくさんいろんだろうなって思っていて。やっぱりそういう子っていうのはどれだけ人に救われても満足できない心の穴があって大人になったらその穴は埋まるのかっていうとやっぱり違って、そういう人はきっとその他者を救う側にまわるしかないんだろうなってことも彼女の存在を通してすごく感じますね。だから私達はこの心の穴を埋めてもらうためにいるんじゃなくて次の誰かにバトンを手渡すためにこの穴があるんじゃないかって考えてみたいなって感じました。
(山戸結希さん)
山戸結希さんの震えるような声と強い言葉が胸に染みる。
amazarashiの秋田さんの弾き語りが続く。公式の動画がなかったので中島美嘉さんのこちらを。
生きてほしくて生きたくて。
たった1つの失敗で、自分の存在自体が失敗作なんじゃないかって思ってしまうよね。
逃げてもいいよって言うけれど、逃げるのだって怖いよね。むしろ逃げないことより逃げることのほうがずっとエネルギーがいることだってあるよね。一生その先が閉ざされるんじゃないかっていう怖さが襲いかかってくるよね。
逃げることができても、過去は変わらずずっと自分と共にある。逃げても、戦っても、生きてる限り地続きに辛さはある。それでも生きて、生きて、生きて、生きていく君を、僕はただただ肯定したい。
逃げた先にちゃんと希望があることを、あったことを知っている人がたくさんいる。だから逃げて大丈夫って言葉をかける。でも、逃げたことがない君に、自分に自信がない君に、自分にも希望があるって思うのは難しいよね。だから、僕にできることはまずは僕が生きたいって叫ぶことだけなのかもしれない。
「みんなも辛いから」そうやって俯瞰して大人は言っていたけれど、辛いときに人と辛さの重さを比べる余裕なんてないし、それが人より軽くても重くても同じでも、辛さがなくなるわけではないよね。辛いものは辛いんだから。僕はせめて辛いことを辛いね。ってただただ受け止められる人でありたい。
「生きてほしい」と祈る以上に「生きたい」「生き尽くそう」って僕は自分自身に言い聞かせる。自分1人以上に、だれかに生のエネルギーを注げるような人に、僕はなりたい。
誰一人の辛さだって、僕は同じようにはわかってはあげられないけれど、少しでも考えて、感じて、想いをよせられる人でありたい。
番組を観ていろんなことを思い出した。今の自分自身のダサさや狭まっていっている自分の視野を思い知らされた。君がそこにいるってことを噛み締めて受け止めて、僕の中に少しだけかもしれないけれど内包した。
ありがとう
色んなことを僕は忘れていた。半径数メートルの人や、半径数メートルでふれられる悩みや感覚のことだけを考えてここのところ生きていた。それだけが世界なのだと錯覚していた。
いつのまにか色んなことに無関心になって心の距離が離れて、自分の居心地のいい世界の中に閉じていた。
全国から寄せられたみんなの悩みを通して、純粋な感覚、美しくて尊い心にふれた。僕はもっとちゃんといろんな人に思いを馳せたいなって思った。
それはみんなのおかげで、本当にありがとうって思うんだ。
自分のことを無価値だって思うかもしれないけど、少なくとも僕にとっては、そう思わせてくれた君がいてくれて本当によかった。
君は生きているだけで、在るだけで、誰かにとってなにかの価値がきっときっとある。
もしそれが信じられなくても、僕が今感じているこの感覚だけは嘘じゃないって信じてほしい。いや、信じられなくたっていい。ただ僕がわかってほしいだけで本当にありがとうってただただ思っていたいだけだから。
いつか君が自分の価値に気づいて、目の前の幸せを幸せだって思えて、光の中で生きれますように。届かないけどただ僕は、祈っています。
最後に山戸結希さんの言葉を。
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