「幸せについて①」を公開のために推敲しながら、自分の人生の中で幸せだった場面があったかどうかを振り返り始めました。 一番最初にふと思い出したのは、小学5年生の頃の出来事でした。 学校の授業で、視覚障害の体験を行う授業に参加しまして、ペアになって誘導役と障害を持っている方の役割に分かれて、スタートからゴールへ向かうというデモンストレーションを行いました。 目隠しをした生徒に対して、手をつないで誘導しながら2Fの廊下→階段→1Fの廊下を渡りゴールへ進むという内容でした。 周りは
「幸せについて①」を振り返って、一応テーマいくつか設定したけど、そもそも幸せではないみたいなの書いてる自分よりも、実際幸せを感じている人の方がはるかに参考になるな、と思ったので②でやめます。 基本的に自分の筆記は外部からそれをみた時にそれがどういう内容かという書きと思う。
つぶやきにするには長すぎるので、記事にしてみました📝 今日、ふと幸せについて「幸せとは何だろうか?」を具体的に考えました。 今まで、「幸せとは何か?」ということを具体的に考える機会はなかったです。 まず、この内容から考えます。 「自分は幸せだろうか?」。 または、 「自分が幸せだったときは?自分が幸せを感じたことはなんだろうか?」 確かに空虚感は感じたことがなかったです。 やることに欠いているというわけではなく、意欲もそれについてきている。 しかし、「幸せ」となると話
とある精神分析家の内容をある程度理解して、それを手本に解決へ持っていく・自分をその理解のコースに持っていくよりは、さまざまなものをヒントにしながら自分なりのものを見いだすみたいな態度が良いのかなと思っていて、それはこれからにおいても十人十色になるんじゃないかと。
なんにせよ、自分の状態とうまく付き合うことと自分の不得手なことでも得意とすることでもそれぞれうまく上達できるようなことを両立できていったら、それは良いことなんじゃないかということを目指しながら進んでいく感じです。
最近状態が安定しているといえばしている。 2つのことに気づいたのが転機で、 1つ目が、投影の内容に気づいたこと。 自分の内面に生じた・抱いている感情が視覚的な相手に対する把握に出現してくる現象と理解していて、それを短時間で振り返りつつ、出来事をこなしている状態。 2つ目は、…
とある出来事や相手に尋ねたことから、投影という内容に興味を持つようになった。 自分が会話中ややりとりの中でどう思っているか、また、相手からのメッセージにどう反応しているかなど、さまざま探っていきたい。 現在はとても調子が悪い(´・_・`;) 天気もこうだし、横になるのが楽。
10月の振り返り① 眠気を覚えているときに音などで起こされると、眠気が飛んで業務出来ることを感じて、ここ1・2ヵ月ほど気になっていた。そして、怒りの効能に着目し始めた。 また、反対に積極性や能動性が失われると、眠気へ退避していく様な感覚を得て、それらをまとめつつ考えている。
ある日、そば店に行って、自分の大好きなそばの味なのに、「こいつは不味いぞ」という思考が侵入してきた。 自分が、どういう方向性に進むか、そういうモデルが2つあって思考が右往左往するとき、結果としてこうした思考の侵入を引き起こす・思考が生じる。 これが統合がとれない状況だろう。
「わからないが『わからない』がわからないがわからない」という内容の記事をまとめています。 これは一度書いて消してしまいましたが、出します。
そのうち現段階の個人的な対策や体感めいたものをまとめることが出来ればと思う。 いくつかその内容をつかみつつあるような現在。
最近気になっていることとして、「統合失調症ねえ…。ところで、いったい何を統合しようとしてそうしたことが起こるの?」というところが気になっていて、今後はそこも考え事のリストに加わってくる。
曲のタイトルに作った日付を入れているのは逃げている感もある。 ただ、制作プロセスも含めて・配置も含めて・聞こえている内容も含めて、自分だけがつかんでいるものがある。 そのイメージ全体像に対して、自分の物事の把握で以てどのようなタイトルを付けるか。そのようにあるべきだと思った。
20241017~1018に作りました。 もしも何かに似ていると思った方は、コメントなどで連絡ください。 日付からタイトルを改題しました。
ゲオルグ・グロデックを手に取り出す📚
本日、けっこう決定的なことが分かって良かった。 最近自分が体験したものや見てきたものに対する観察の内容に対しても、「これはこうなのでは?」という点でかなり合点がいく。 しかし、どう扱おうか…という点でちょっとこまりもの。