スティール・キス:ジェフリー・ディーヴァー:潮目が変わった
「スティール・キス」(153,154/2020年)
ライムも12作目なのですね。今回は潮目が変わった気がします。登場人物たちが年を重ねて、その年相応の心の揺れ、悩みがより強く出てきたのではないでしょうか。
1997年に発表された第一作「ボーンコレクター」(映画は北米公開は1999年です)から20年以上。作品の中ではそれほどの年月は経過していないと思いますが、読者とともにそれなりの齢は重ねていると思います。ライムの病状も僅かながら改善されたり、アメリアの元恋人が娑婆に戻って来たり、時は流れています。事件の謎を解明するのは当然なのですが、それよりも「大切」なことが各人に出てきている感じ。事件解決そのものより、事件を解決することにより、自らの人生を歩んでいく様子がクローズアップされていると思います。
また本作で語られる「善」と「悪」の件も今後のシリーズの流れに大きな変化をもららすかも。同じ人間の中にも、善と悪が共存しています。今回の場合、それがあまりにも「無意識」のうちに入れ替わる登場人物が出てきます。この人の本質はどっちなのか、そんなの選べません、どっちも本質です。つまり善人、悪人なんてものは存在しない。それは人間だけではなく社会にも言えることかも。善と悪なんて、切り口が変われば簡単にひっくり返る、非常に不安点なものなのです。
今回の敵は日常に忍び込むオンライン社会。オンラインで管理することの善と悪、少し考えてみたくなりました。そしてオンラインとオフラインを対立するものとして捉える時代は完全に終わったんだな、という気もします。どちらかを選択すれば良いという単純な時代が懐かしいです。
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