罪人よやすらかに眠れ:石持浅海:わざと物足りなくしているのでは
「罪人よやすらかに眠れ」(133/2020年)
クールだね、石持。でも物足りないと感じる読者は多いかも。
6つの短編。全て同じ構造です。各々の事情により、お屋敷に入ることになってしまった6人の持っている(敢えて書きますが)「心の闇」を、そのお屋敷の「書生」(?)である切れ者の男性、北良に、ほんの僅かな状況証拠から、探り当てられてしまうのです。
本作では心の闇のことを「業」と呼んでいますが、この作品は、業を暴き出す「謎解き」の過程を楽しむものではないと思いました。行間を読むというか、この作品をネタに、自分なりのストーリーを創造する醍醐味、そのベースを石持は提示してくれています。石持はわざと物足りなくしているのではないでしょうか。最初、作ったものから、無駄なものを出来るだけ削っていく。そして残ったエッセンスがここにある。ここから先は読者の意志に託されているのです。
「友人と、その恋人」では若者が友人を思う気持ち。「はじめての一人旅」では小学生の恐怖。「徘徊と彷徨」では父の苦悩。「懐かしい友だち」では過去の残酷な事実。「待ち人来たらず」では恋がもたらす悲劇。最後の「今度こそ、さよなら」も哀しい恋の結末。全て、未完のままです。
そもそも、現実の世界では、小説のように、問題がバッサリ解決されえることなんて滅多にないと思います。北良は業を見事に暴きます。でもその業を生み出した本質的な問題は解決されていないのです。そこを物足りないと感じるのか、それともその先を妄想して楽しむのか、あなたはどちらですか?
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