【運命は無意識の自分が創り出している】
名前も国籍も知らない、話したこともない『先輩』。
そして後に息子の父親となる男性に恋をしたのか、
ゴアトランスに恋をしたのか、
後から思えば、曖昧だ。
私は、無意識の自分で素っ頓狂な状況と環境を作り出し、
勝手に自分の運命に翻弄されているのだなと。
それは自分にアダルトチルドレン(AC)要素が満載なこととも関係がある。
そう。私は初ゴアのパーティー生活で良くメモ書きをしていて。
なんならスピーカーの目の前とかでもパッと思い付いたことをメモし始めたり。
それは、他の人に「変に思われるから控えな」と言われるのだが、
私的には「こんなに変な人がいるのに? ダンスパーティー中にメモって変?」と疑問だった。
そのメモの一部に「ゴアはアダルトチルドレン克服スクール」と書いてあった。
みんなアダルトチルドレンに見えた。
今思えば、多くの人間にはアダルトチルドレン要素や、何かしらの精神疾患要素がある。
人間とはそうゆうもの。
それがマイノリティかマジョリティーか、名前を付けるか付けないかで疾患にもなるし、個性にも才能にもなる。
私がアダルトチルドレンを克服したいということに注目していたからこそ「ゴアはアダルトチルドレン克服スクール」と見えたのだろう。
話は戻り。
無一文、路上で絵を売る生活、ヒッチハイク、野宿、そしてイタリアの家政婦など、全てをワクワクとドキドキな大冒険として楽しめたのは、
いずれにせよ。
『恋という脳内麻薬』のおかげだ。
実は、私が1年間、闇雲に探していた『先輩』とは。
ゴアを出た3月の後、ネパール行商生活を経た後に戻ったインド、ダラムサラ6月の時点で、Facebook上では友人になっていたのだ。
し、しかも。
一度、メールをしている。
なのに、その彼が、私の恋した『先輩』だとは気がつかずに、現実をスルーして、爆走、妄想世界を突っ走ってしまった。
何故ならば。
Facebookで初めてメールが来た時に、正直、誰だか分からなかった。
私の場合、顔認識能力などが低い為に、誰だか分からないけどFacebookでなんとなく友達というパターンはよくある。
もう、その場合はオンライン友達みたいなものだが、2ちゃん文化などに抵抗がないので、アリなのだが。
私の妄想の『先輩』の現実が、初めて私に送って来たメールが。
「ハロー今どこにいるの?」
「私はダラムサラ、あなたは?」
「プシュカル、元気?」
「元気」
と、私はこの辺で、ん?この人誰?馴れ馴れしいけど?誰だっけ?分からない。
分からないけど、なんとなく、要点がハッキリとしない会話が面倒臭いな。
と感じて。
なんだか、メールが来た後に、
「私は英語が苦手だから分からない」
と、つっけんどんに、メールを終わらせていたのだ。
この、自分自身も意味の分からない行動。
私は、時たま気分に任せて、意味のない、意味のわからない、普段やらないような、そんな行動を取ってみようかなぁとなり、実際にやってみたりする。
そう。
世の中にはびこる電波に操られた人形のようになってしまう。
彼との会話は、なんとなく面倒臭かったのだ。
誰だか分からないし。
ちゃんと誰だか聞けばいいのに、それすら面倒臭かった。
もし、私と先輩が、あの頃に信じて疑わなかった、ツインソウルってやつだったなら、私はこの現実の先輩からのメールを面倒臭いと感じなかっただろうか。
もし、このメールが私の妄想していた先輩だと、現実で分かっていたら、喜んでメールを続けたのか。
はたまた、メールの時点で、恋は冷めていたかもしれないと、今なら思う。
6月の時点で、私が恋していた妄想の『先輩』の現実を知り、恋が冷めていたら。
もしかすると、ここまで一心不乱にトランスパーティーを追いかけていなかったかもしれない。
ブームフェスティバルで、何処かの誰かと恋をして、何処かの国で一緒に住んだり、旅をして、再びゴアに戻って来なかったかもしれない。
結局。
私が、大きく色々と妄想の勘違いをして突っ走った先輩への恋心の方は。
実際に先輩と再会し、勝手に幻滅し、すっかりと行き場を無くしてしまった。
そして。
私の、全ての恋心と情熱は、異常なまでにゴアトランスカルチャーに注ぎ込まれることになった。
「昔は色々、遊んだけどね~。今は、ナチュラル。ボンくらいかな。」
なんて人も要注意。
世の中、恋をすることは、いいことみたいな風潮があるけれど。
それも、状況とやり方による。
私は、この世で、最も危険なドラッグは恋だろうよ、と。