マガジンのカバー画像

ダンスで一文無しBoom目指して大冒険

22
10年以上通い続けたインドですが日本を断捨離2013年。 29歳のクリスマスの恋人はサンタクロースではなかったけれど、 トレンディよりもエキセントリック。 初ゴアから宇宙Boom…
運営しているクリエイター

#ネパール

11【サンタクロースが恋人になる日はくるのか?】

カトマンズのダルバール広場。 いつもダルバートだかダルバールだか混乱する名前。 ここでサンタさんに会った。 サンタさんは何も言わず、私の似顔絵を描き始めた。 そして。 700Rs、850円程を請求された。 私の知ってるサンタさんと随分異なる。 困惑する私を見て、周囲の人たちが払うな払うなという仕草をした。 同じく路上で絵を売っていた私にとって衝撃のゴリ押し商法である。 2015年。  私は妊娠3ヶ月。 震災中のカトマンズにいた。 震災によりかなり古い建

10【路上。ネパール最後の夜】

結局。 
私は2カ月間、ネパール、ポカラの路上で絵を売って生活をしていた。
 1カ月目の売り上げはビザ延長代金に殆ど消え。
 2カ月目は、音楽バー、レストランの看板を描いたりもした。 ロシア人の元ボディーガードの日本語教師をしてみたり。
 信頼のおけるおじ様方にタイマサッサージ。 
近所の日本食カフェの夫婦のご好意により展示販売会をさせて頂いたり。 そして。 元ボディーガードのロシア人は勝手に私のボディーガードまで始めたり…笑。 残念ながらホイットニーの歌声は流れ出

09【ポカラで何故かナイトトレッキング12時間と辿り着けなかったパーティー】

2ヶ月間ほどネパール、ポカラの路上で販売をしていると。 自然と色々と見えてくる。 とりあえず。 中国人旅行者は団体でわらわらと見るだけ見て買わない。 ネパール人は話したいだけのことが多い。 買う人間は最初から買うと決めているのか決断が早い。 ネパールの路上には犬も沢山いてテリトリーがある。 大きな木の下に路上店を出していた私のテリトリーにも犬が居た。 綺麗な黒い犬と汚れた黒い犬。 汚れた黒い犬は大概、寝ている。 綺麗な黒い犬は愛想が良く、尻尾を振って私の隣りに寄り添

08【ポカラOn The Roadトンチンカンな異文化コミュニケーション】

ゴアのダンスパーティーで一文無しになった私は、 ポカラの路上で、毎日絵を売って生活を営んでいた。 昔々…。 front of 'ONECE UPON A TIME RESTURANT' という名前のお店の前。 隣りで露店を出しているチベタンのおば様は、 いつも商売のアドバイスをくれる。 「外国人が来た時だけナマステーと挨拶をしなさい。インド人、ネパール人は買わないから沢山話さなくていいんだから。」 とか。 「あんたはお客さんが見てるのに絵ばっかり描いて!もっと絵の説明

07【一文無しポカラ露店生活は勝手に電波少年企画Boom Festival へ向けて】

ポカラは観光都市だ。 2014年現在。 中国人の団体観光客が増え、湖の周りに広がる街がプチバブル状態になっている。 栄えているのはレイクサイド。 湖を囲む様にダムサイドとレイクサイドがある。 ダムサイドは中国人系のお店が多く、少し廃れた雰囲気。 レイクサイドは欧米人観光客が好むお洒落なレストランや土産物屋が並び賑やかだ。 更にレイクサイドの奥の方はヒッピーエリアで裸足で歩く若い旅人や、のんびりとしたカフェなども多く、それもそれで賑わっている。 私は、どこに店を構えるか。まず

06【一文無しでインド国境越えブームフェスティバルに向けてポカラで移動式路上販売生活開始】

ゴア、最後の朝までシヴァバレーのビーチパーティーを堪能し、友人のご好意の元、電車のチケット1枚で2人乗車のプチキセル。 昼過ぎの電車でデリーへ。そして、デリーからは再び1人。 電車でゴーラクプルを目指した。 が。 ここでもウッカリ。 予約したチケットの日にちより1日早い電車に乗ってしまったのだ。 既に電車は動き出している。 引き返すも何も車内はイモ洗い状態。 出口にすら出られなかった。 しばらくは、朝の通勤混雑時中央線な感じで立っていた。 そして上手い具合にスリーパー2